「じゃあ、僕は行ってくるからね」
「いってらっしゃい」
「・・まだ少し顔色が悪いよ。僕は遅くなるから先に寝てなさい」
「・・うん、大丈夫」
仕事に出かける静也を送り出し、雅也は玄関のドアをロックした。自分の部屋に入りベッドに身を投げ出す。
昨夜、雅也の突然の頭痛の事をイチゴねえさんから聞いた静也は、血相を変えて家に帰ってくると、部屋にいた雅也にしつこいほど大丈夫か、変わったことはないかと聞いてきた。
もう何ともなかったので大丈夫だと答えてもベッドから出してもらえず、結局雅也は翌日の授業を欠席するはめになった。
その異常なほどの静也の心配ぶりを不思議に思って理由を聞いてみると、意外な答えが返ってきた。
雅也が記憶をなくして間もない頃、同じような頭痛をいつも起こしては倒れていたらしい。雅也自身は覚えていないが、吐いたり痙攣したりとかなりひどい状態で、静也を心配させていたということだった。
今回もまた同じことになるのではないかと思ったのだろう、あんなにうろたえた兄を見たのは初めてだった。
「・・これで今から出かけたりしたら、兄さんに絶対怒られるな」
ベッド脇の目覚まし時計を見ると、針はもうすぐ夕方の6時になるところだった。
土曜日の午後6時。
城にもらったチケットに書いてあった開演時間だ。
雅也の家から繁華街にあるライブハウスまで、この時間帯では1時間近くかかる。今から行ったとしてもライブは後半、運が悪いと終わっている。
昨夜、家に帰りチケットを前にして雅也はしばらく悩んでいた。見に行きたいが、それでは城の気持ちを受け入れたことになる。思いきってチケットを破ろうとした時、静也が帰ってきて期を失い、今に至っている。
「・・・どうしようか・・」
机の引き出しからチケットを出す。
丸一日考える時間があったのが幸なのか不幸なのか、雅也の中の欲求は抑えきれないほど強くなっていた。
行きたい。どうしようもなく行きたい。
行って城がどんなバンドでどんな風にギターを演奏するのか聞いてみたい。
城はライブで自分をさらけだしていると言っていた。そんな姿を実際にこの目で見てみたい。
つきあう気があるなら見に来いと城は言った。
今の状態でつきあう気は雅也にはない。
でも見には行きたい。すごく。
自分の中の矛盾に腹がたってくる。
「あ〜〜もう、どうしたら・・・あ」
雅也はガバッとベッドの上で身を起こした。
そうか。会場で城に見つからなければいいんだ。
城はもうステージにいるはずだから、途中で入って終わったらすぐに帰ればなんとかなる・・はず。 「・・・最後だから・・もうただのクラスメートに戻るんだから・・」
そう思ったら、もう押さえられなかった。
ベッドから立ち上がると、着替えを始める。
「あ・・同じ高校の奴に会うとまずいよな・・」
城は校内でもファンが多く、たぶん何人かは会場に来ているはずである。元生徒会役員である自分の顔も全校に知られている。
少し考え、雅也は昨日まで店で使っていたかつらをつけ、薄くメイクをした。細いGパンにTシャツ、大きめのパーカーを羽織って身体のラインを隠す。
「・・この顔、もう見たくなかったんだけどな」
鏡に映っていたのは、男物を着た美少女、貴子だった。
「あ、まだやってる・・」
雅也が会場に着いたのは、7時過ぎだった。
エレベーターを降りてすぐにあるライブハウスの、黒を基調とした外観の真ん中についている分厚いドアから、演奏がわずかに漏れ聞こえてくる。
ドアから少し離れて何人もの少女たちがたむろしている。
初めて来たライブハウスの雰囲気に戸惑い、立ち止まった雅也がふと、彼女たちのすぐ後ろにある掲示板に目をやった。
出演バンドと書いてあり、3つの名前とそれぞれの予定時間が書いてある。
今は2番目のバンドが演奏している時間だ。
『え・・城のところだけじゃないのか?』
城はバンド名を雅也に教えていなかった。
もし1番目ならもう終わってしまっている。
そうでなければ聞ける。
『やばい・・早く行かなきゃ』
あわてて入口でチケットを渡しドアを開け・・・雅也はそのまま中に入ってしまった。
「うわ・・・すごい」
ドアを開けた途端、頭に直接届くような大音響が雅也を襲った。
黒一色の店内の、足元も見えないような暗い通路を曲がるとその先に、ライトを浴びたステージと嬌声を上げているたくさんの人で埋まったフロアが見えた。
音と人々の熱気の迫力に圧倒されそうになった雅也だが、とにかくステージ全体が見える所までフロアに近づいた。
ステージの上では、かなり濃いメイクをして派手な衣装を着たメンバーが4人、演奏をしていた。
よく目を凝らして見てみても、その中に城の姿はなかった。
『次のに出てなかったら帰るか・・』
多少がっかりしたが、とにかく次のバンドまでは見ることに決め、雅也は通路にほど近いフロアの壁にもたれた。
フロアを埋め尽くしているのはほとんどが女の子だ。
一段高くなったステージのすぐ前で、ステージに向かって歓声をあげ、両手を高く上げて踊っているのがこのバンドのファンなのだろう。
『・・このフロアの中には城のファンもいるんだろうな』
そう考えてくすっと笑う。
こっそり城の姿を見に来た自分だって変わらないか。
視線をステージに戻すと、ボーカルが何かを叫んでいる。どうやら最後の曲らしかった。
ハードな曲が多いバンドなのか、最後もかなりアップテンポの、見ているこっちが疲れるような曲だ。
思わずため息をついた、その時、
「・・・!」
突然、強い力で右腕を掴まれた。
思わず叫び声を上げたが、この大音響の中では隣りにも聞こえない。
すぐ脇の暗い通路に引っ張り込まれ、さらに通路に面したドアの中に連れ込まれた。
目の前に立った男を見て雅也が声をなくす。
天井からぶら下がった小さな電球が、器材室らしい狭い部屋の中と、ドアに背をつけて立つ雅也、そしてそのドアに両手をついて向かい合う城の姿を照らし出していた。
防音はあまり効いていないらしく、ステージの演奏が響いている。しかし雅也の耳には自分の速い鼓動しか届いていなかった。
「・・来てくれたんだ」
息がかかるほど近くで城がささやいた。
「何度探しても姿がないから、もうほとんど諦めてたけど・・出番前に見に来てよかった」
心底安心したような顔で言い、城はさらに顔を近づけてきた。雅也の胸が掴まれたように痛む。
「OKしてくれたんだよな」
「あの・・」
戸惑う雅也を城の両腕が抱き込む。
「あんたは来てくれたんだ。もう今さら何を言っても・・・・・逃がさない」
目を見開く雅也に城が近づく。
唇が重なった瞬間、雅也はきつく目を閉じた。
城の腕が雅也をさらに引き寄せ、唇が深く合わさる。
息もできないほど激しく何度も角度を変えて唇を求められ、息苦しさと自分のか相手のかわからない熱で、目眩がしそうになる。
どのくらいたったのか・・・
「・・!」
ふいに城の唇が離れた。
苦しさから解放されて膝から力が抜けそうにになり、雅也は思わず城の胸にすがりついていた。
「前の連中が終わったみたいだ。もう行かないと」
ちくしょう・・というつぶやきが伝わってくる。気が付けば、さっきまでドア越しにも鳴り響いていた演奏が止んでいた。人々のざわめきと、器材を入れ替えているのか、がたがたという音がする。
「最後まで聞いてて。最高の演奏、するから」
城は何も言わずに腕の中にいる雅也をもう一度抱きしめ、今度は軽く唇を合わせた。
「終わったら、ちょっと話がしたい・・・フロアで待っててくれ」
そしてドアを開け、通路に人がいないのを確認すると雅也を連れて外に出た。
「・・じゃあ、行くから」
軽く手をあげて、城は楽屋の方に走っていった。
その姿が見えなくなると、雅也は今出てきたドアにふらふらともたれた。
唇にそっと触れてみる。
熱でも持っているようだ。
「・・・うそだろ・・」
城とキスをした・・しかもあんな・・・
とたんに顔中が火がついたように赤くなった。これ以上はないというくらい速く心臓が鳴っている。
ど・・どうしよう・・・
考えようとしても頭の中は大パニック状態だ。
とりあえず・・外に出て考えよう・・
そう思ったとき、
フロアから大歓声が起きた。
雅也が振り返ったちょうどその時、ステージに向かって一斉にスポットライトがあたった。
雅也の目に城の姿が飛び込んでくる。
同時にドラムの音が轟き、城の手にしたギターがかき鳴らされた。
「あ・・・」
雅也はその音に引き寄せられるようにフロアに向かった。
イントロが終わり、ステージ中央の人物にライトが当たる。浅黒い肌をした、まだ少年という印象のあるその姿に反して強烈なインパクトのある歌声が響いた。
深いラインを刻むベースと感情豊かなギターがその声を包んでいる・・・・
『・・・すごい・・』
いつのまにか、雅也は最初にいたステージ全体が見える壁際に戻っていた。食い入るようにステージを見ている。
どんなバンドが良いとか悪いとか、雅也にそんな深い知識はなかった。
でも完全に引き込まれていた。
彼らの音楽に。そして城の姿に。
半時間ほどのステージはあっという間だ。
歓声を上げるフロアの観客の後ろから、雅也は時が経つのも忘れて城を見ていた。
アンコールで、曲間にヴォーカルがメンバーを紹介している時、雅也は我に返った。
終わってしまう。
終わったらまた城と顔を合わせることになる。
『いやだ・・』
この姿で城に会いたくない。
今まで漠然としていた想いが、形になる。
どうしようもなく自分は城に惹かれてしまっている。
でも・・それ以上に『貴子』と城が会うのが嫌だった。
ステージでは最後の曲が始まっっている。
城に会いたい・・でも会いたくない。
『・・・ココニイテハイケナイ・・』
頭の中で警鐘が鳴っている。
胸が苦しい。苦しくて・・
『はやく・・出なきゃ・・・』
曲の最後のフレーズが終わらないうちに、雅也はステージに背を向けると、足早に出口に向かった。
重いドアを押して店から出ると、エレベーターで一階まで降りる。
ビルから出ても、夜がまだ更けていないこの時間、繁華街にはまだ人通りが多い。
その中で立ち止まった雅也は、数人で笑いながら歩いていたサラリーマンとぶつかりそうになった。
『うちに・・帰らなきゃ・・』
早く誰もいないところに行きたい。
ふらふらと足を踏み出してすぐに、近くに停まっていたタクシーに目がいった。
空車ランプがついていたその車に近づき、ドアが開くと雅也は中に滑り込んだ。
「N町まで・・」
行き先を聞くと、タクシーはすぐに走り出した。
タクシーのシートに深くもたれて息を吐き出す。
窓の外に繁華街の明かりが流れていく。
雅也はそれをぼんやりと眺めていた。
『馬鹿だ・・俺・・』
城と会いたくなくて逃げてきてしまった。
いや、会いたくないんじゃない・・・ 貴子と城をもう二度と会わせたくなかった。
『・・自分に嫉妬してどうするんだよ・・』
情けなくて涙が出そうだ。
負けた恋敵も自分。
こんな形の失恋なんて・・・本当に呆れるほど馬鹿げていて・・救いようがない。
でももう貴子は城と会うことはない。
城は怒るだろう・・何のことわりもなくいなくなった貴子に対して。だが『貴子』という名前と店しか知らない城には、会う術がない。
そのうちに城の中で、嫌な思い出の一つにでもなってしまうんだろうか。
『・・しょうがない・・か』
タクシーはいつのまにか繁華街を抜け、郊外へ向かう国道を走っている。
まだ静也は帰ってきていないだろう。
部屋に帰ったら顔を洗って、さっさとベッドにもぐり込んでしまおう。
月曜日には学校で、何事もなかったように城に会わなければならない。
『ポーカーフェイスは得意のはずなんだけど・・』
今回は自信がない。目で追ってしまいそうだ。
『完全に捕まってるな・・』
自嘲気味になったところで、タクシーがマンションの前に着いた。
料金を払って車の外に出る。
空車になったタクシーが去るまで雅也はそこに立っていた。目の前の道路は家路に向かっているのであろう車が流れている。
雅也はきびすを返すと、マンションのエントランスに向かって歩きだした。
エレベーターの6階を押し、壁にもたれる。軽い目眩がしてからドアが開くと、雅也は数歩歩いてふと顔を上げ・・・そのまま凍りついた。
「な・・なんで・・」
通路の数メートル先、雅也の家のドアの前に男が立ってこちらを見ていた。雅也が立ち止まると、ゆっくりと近づいてきて・・・頬に手が触れた。
「言ったろ・・・もう逃がさないって・・各務」
そう言うと城は、立ちつくす雅也を強く抱きしめた。
to
be continued...
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