DOUBLE PANDORA 1 /page4

佐伯けい

 ・・・・誰かの泣き声がする・・・。
 遠い昔に聞いた声・・・・誰のものなのか思い出せない。
 ・・胸を締めつけられる・・悲しい声・・
 赤いじゅうたんの上で泣いていた、あれは・・・

 
 目の前に見覚えのある顔があった。
 男らしい整った顔だがなんとなく愛嬌のある、自称・我が校一のナンパ野郎・・・・清水だ。
 でもいつもの飄々とした顔じゃない。厳しい表情。
「・・・あれ・・?清水?」
 そこまで考えてやっと頭がはっきりした。
 雅也がしっかりと目を開くと、清水がほっとした表情になった。
「何でお前が・・・あれ、ここは?」
「保健室だよ。お前、教室でぶっ倒れてここにかつぎこまれたの。覚えてねぇ?」
「・・全然。たしか山田とぶつかって・・」
 とたんに山田の流血沙汰を思い出す。とたんに頭の奥がずきっと痛んだが、すぐにそれも消えた。
 最近はなかったから忘れていたが・・・数年前までは頻繁に雅也を襲っていた痛み。
「・・あ、そうか・・。俺また血を見て倒れたんだな」
「久しぶりじゃないか?こんなに派手に倒れたの」
「・・・ああ・・中学以来だ。しばらくなかったから治ったかと思ってたけど」
 ゆっくり身体を起こす。部屋には他に誰もいない。
 頭を振ってみるが、別に調子の悪いところはなさそうだった。かえって寝不足だったのがすっきりしているくらいだ。
「俺のクラスまで聞こえる騒ぎでさ、なんだと思ったら廊下を城がお前を抱えて走っていくんだもんな、驚いたぜ」
「え・・城が?」
「そう。こう、お姫様抱っこってやつ」
 清水がまねをする。それをみて雅也が真っ赤になった。
 よりにもよって何でまた城なのか・・・雅也は頭を抱えたくなった。
「・・何赤くなってんの」
「なんでもない・・あ、今何時だ?」
「もう放課後だ。3時半すぎ」
「え!まずい!」
 雅也はあわててベッドを降りると、上着を探した。
 枕元に上着と靴下、一緒に腕時計があった。
「どうしたんだ?」
「バイト。今日は早く店に出なきゃいけないんだ」
「身体大丈夫か?」
「ああ。元気」
 靴下を履こうとしたとき、右足にしていた包帯がきれいに巻き直してあるのに気づいた。寝ている間に養護の先生が巻いたのだろうか。湿布も新しくなっている。
 スリッパを履いて立ち上がる。右足がまだ少し痛むが、歩けないほどではない。
「足、どうしたんだ?」
「ん、バイト中に捻った所をまた痛めたみたいだ」
「歩けるか?」
「なんとか」
 心配する清水の肩を借りて雅也は保健室を出た。 
 その姿が廊下から見えなくなるころ、保健室のもう一つのベッドのカーテンの陰から一人の男が姿を現した。
「まいったな・・」
 つぶやきと裏腹に、口元は薄く笑っている。
 上着のポケットから使いかけの包帯を出し机の上に置くと・・・・城はゆっくりと保健室を後にした。


「貴子ちゃん、今日はもうあがっていいわよ」
「あ、はい」
 桂子ママの声に、カウンターで一息いれていた雅也は立ち上がった。
 夜10時過ぎ。少し前まではほとんどの席が埋まっていたが、今はボックス席に一組の客がいるだけだ。
 更衣室に行こうとした雅也に、客の見送りから戻ってきたイチゴねえさんが声をかけた。
「まあちゃん、ちょっとこっちに来て」
 引っ張られて一緒に更衣室に入る。『更衣室』とはいっても3人も入ればいっぱいになる、ロッカーのある小さな部屋だ。イチゴねえさんとなら尚更狭い。
「まあちゃん、この間の子、クラスメートって言ってたわよね」
 城のことだと思い、雅也が頷く。
「その子が外にいるわよ」
「・・・え・・?まさか・・」
「あの子結構目立つもの、見間違いじゃないわ。階段降りた斜め前のビルの所で立ってるわよ。あれは絶対まあちゃんをナンパしに待ってるに違いないわ!」
 力説しているイチゴねえさんの横で、雅也は言葉を無くしていた。
 城が自分を待っている・・・まさか本当にナンパじゃないだろうし・・
『あ・・』
 急に数日前の夜のことが頭に浮かぶ。去りぎわに雅也は城に息もできないほど強く抱きしめられたのだった。
 ・・・そうだった。
 彼女がいると聞いている城が、なぜあんなことを男の自分にしたのかはよくわからないが、あれが気の迷いでないなら今夜はナンパしてくる可能性もある。
 どうしたらいい・・?
 考え込んでいる雅也をイチゴねえさんが怪訝そうに見ている。
「・・まあちゃん、もしかしてあの子、『貴子ちゃん』がまあちゃんだってこと、知ってて待ってるの?」
「いえ、知らないと思うけど・・」
「じゃああの子、『貴子ちゃん』を待ってるのね」
 イチゴねえさんの指摘にどきりとする。
『あ・・・』
 そうだ。
 城が待っているのは『貴子』という人間だ。
 各務雅也じゃない。
「まあちゃん、どうしたの?」
 考え込んでしまった雅也をイチゴねえさんが心配げに見る。
「ん、何でもないです」
「言い寄られて困ってるんだったら、あたしが一発がつんとかましてやるわよ」
「・・・それはまずいですって・・」
 見事な力こぶを作ってみせたイチゴねえさんをイスに座らせ、雅也は笑って見せた。
「大丈夫、なんとかしますから」
「本当に大丈夫?まあちゃん、足の具合まだ悪いみたいだし、襲われたら逃げられないわよ〜!」
「・・襲うって・・何考えてるんですか」
 カツラと化粧はそのままで、Gパンと薄いセーターに着替えた雅也は、振り返ってイチゴねえさんに向かって笑った。
「大丈夫ですってば。万が一何かあっても、正体ばらせばびっくりして逃げていきますよ。あ、このことは他の人には黙っていてくださいね」
 じゃあ、と更衣室から出ていく雅也を見送り、イチゴねえさんがつぶやいた。
「・・あの子頭いいのに、ほんと自分のことを知らないわねぇ・・」

 店を出て階段をゆっくり下りていく。
 人通りの多い中、城の姿はすぐに目に入った。
 この間と同じビルのシャッターの前に、同じくバイクの傍らに立っている。普通のGパンにTシャツ、革のジャンパー姿・・なのに、やはり人目を引いている。
『・・とにかく、普通に通り過ぎよう・・』
 雅也が階段を下り、城のいる方へ一歩踏み出した時、派手なファッションの二人連れの女の子が城に声をかけた。
 逆ナンパされているようだ。
 思わず雅也の足が止まる。
 城と二言三言かわすと、女の子達は『えーっ』と不満そうな声をだして食い下がっていたが、結局残念そうに去っていった。
『・・・どこにいてももてる奴だよな・・』
 一部始終を見てしまい、何となくむっとする。
 その時、顔を上げた城と視線が合った。
「・・!」
 あわてて視線をそらし、雅也は逃げるように歩き出した。
 だが気づいた城にすぐに追いつかれる。
「待ってくれ。・・あんたをずっと待ってたんだ」
 腕を取られ振り向くと、至近距離で城の強い視線とぶつかった。思わず目をそらしてしまう。
 ふいに抱きしめられたことが思い出されて、自分の鼓動が速くなるのがわかった。
『だめだ、落ち着かないと・・・』
 赤くなってしまいそうな自分を押さえようと雅也は大きく深呼吸をして、それからゆっくりと城の顔を見上げた。
「・・何か用?」
 返す声が少しかすれる。掴まれた腕が熱い。
 動揺を悟られないように雅也は城を上目遣いに睨んだ。
 その雅也を見る城のまっすぐな視線は変わらない。しかし、その表情がふいにゆるんだ。
「・・・そんなでっかい目で睨まないでくれないか?緊張して誘えなくなる」
 そう言いながら城の目元も声も笑っている。
「別に睨んでなんかいない。用がないなら放せ」
 からかわれているような気がして、ムッとして雅也は手を振りほどこうとした。だが手は離れない。
「用はある。だから待ってた」
 再び雅也をまっすぐに見つめた目はもう笑ってはいなかった。
「・・あんたが好きだ。俺とつきあってほしい」
「・・・は・・?」
 ・・この男は今なんて言った・・?
 ・・・好き・・?俺を・・え・・・俺を?! 
 数秒遅れて内容を理解した雅也の目が見開かれる。
 何か言われるとしても、今までの誘いで聞いてきたようなもっとナンパな軽い誘い文句を想像していた雅也は、城のあまりにもストレートな、しかもどうやら真面目らしい言葉と態度に、固まったまま何も言い返せないでいた。
『つ・・つきあうって・・恋人ってことか?』
 考えた瞬間、耳まで赤くなる。
 こんなにも直接に好意をぶつけられたのは生まれて初めてで・・・自分の耳に響きそうなほど鼓動が速くなる。
『そ・・そんなこと・・・急に言われたって・・俺にどうしろっていうんだ・・!』
 パニック状態になった雅也の脳裏に、ふいにさっきイチゴねえさんが言った言葉が浮かんだ。
・・・あの子、貴子ちゃんを待ってるのよね・・
『あ・・・』
 そうだった。
 城がつきあいたいと思っているのは、夜の店で出会った『貴子』だ。
 別に慌てることじゃない。いつものように・・・店で迫られた時みたいにかわせばいいだけだ・・。
 そこまで考えて思わず苦笑が浮かんだ。
 こんな状況じゃなくて学校でもう少し親しくなれていたら友人にはなれただろうか。
 でももし、その友人が実は自分が口説いた相手だったと知ったら・・・普通なら騙されたと怒るだろう。
 やっぱり深入りする前に城から離れた方がお互いのためだ。
 初めて自分から興味を持った人間なのに・・つくづく運のないことだよな・・
 多少の落胆と、自分でもわけがわからない胸の痛みを振り払って、雅也は目を閉じて深く息を吸った。
「腕、いいかげんに放して」
 雅也はわざと大きくため息をついてから城を見て言った。
 その言葉に、城は素直に腕を放した。でも視線は合わせたまま・・・・逃げたら許さないと言っているようだ。
「・・悪いけどあなたとはつきあえない」
「それは俺のことが嫌だから?」
「嫌も何も、何も知らないあなたにいきなりつきあえと言われても困る」
「いきなりなのは自分でもわかっている。でも俺はあんたのことが知りたいし、俺のことも知ってもらいたいと思う。俺の事が嫌でなければその時間が欲しい」
 雅也に向かって話す言葉は思いがけず饒舌で、だか率直で誠実だ。
 そんな城に向ける雅也の言葉もついつい鋭さが鈍ってくる。
「そんな時間はないよ・・これでも忙しいんだ。それにあなた本気で男とつきあう気があるの?単なる興味とかだったら他をあたりなよ」
「充分本気。・・じゃあ本気ならつきあってくれるんだな」
「え・・」
 都合のいい城の解釈に、雅也はあせった。
「ちょっ・・誰もそんなこと・・!」
「時間がないって言うんなら、バイト帰りに家まで送るから、その時間を俺にくれ」
「そんな必要は・・」
「もう足は治ったのか?」
 あわてる雅也の言葉を城が遮る。
 いきなりな質問に、雅也は返事につまってしまった。そのことが城に痛みの存在を教えてしまう。
「その様子じゃ歩くのつらいんだろ?」
 確かに、今日学校で再び痛めた足は、湿布で多少良くはなったものの長くは歩けない状態だった。
 それでも雅也には返事ができない。
 何も言わずうつむく雅也をしばらく見つめていた城が、わずかにため息を吐き出した。
 ちいさなその吐息が城の落胆を表しているようで、雅也は胸が痛む。
 思わずあげた視線が再び城に捕らえられた。 
「・・治るまでだけでも送りたい。それでもだめか?」
 これ以上断ることは雅也には不可能だった。 
「・・・わかった。治るまでなら」
 思わず出てしまった雅也の言葉で城が表情を和らげた。
 その顔を見た後では承諾を撤回はできなかった。

 ・・・撤回する気も起こらなかった。
 
 

to be continued...


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