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       『・・いったいあいつ・・どういうつもりであんなことしたんだ・・・』 
       あれから家に帰り、右足をタオルで冷やし翌日の休日を安静にしていたら、とりあえず歩くのに支障のない程度になった。 
       しかし何もできなかった丸一日、そして週明けに登校してきて席に座っている今でも雅也の頭はその疑問でいっぱいだった。 
       『貴子』が男だとわかっていたはずだ。なのにあいつ・・・ 
       途端に抱きしめられた感触がよみがえる。 
       運動をしてもなかなか筋肉のつかない自分と違い、広い胸と力強い腕をもった身体。背にまわされた手は大きく熱を帯びていた。 
       胸がどきりとする。 
       思い出して少し赤くなった顔に手の甲を当てた。 
       ・・・バイトの影響受けてるかな・・ 
       叔父をはじめ親しい人に多いためか、昔から同性愛者に嫌悪感は抱かなかった。特に最近はバイトするようになり一層その手の話は耳にするようになっている。 
       自分もそうだと特に思ったことはないが、好きな女の子がいた覚えもない。 
       もっとも、雅也には誰かを強く好きになったという記憶がなかった。 
       誰かのことをもっと知りたいと思ったのも城が初めてかもしれない。  この興味が単なるクラスメートに対するものなのか、それ以上の意味を持つのかは、雅也自身にもよくわかっていなかった。 
      『あんなことしたからといって城がそういう趣味があるってわけじゃないし、ちょっと血迷っただけかもしれないし、大体、あいつ彼女がいるって噂だし・・・・何一人であせってるんだ、俺』 
       そこまで考えてなんだかばからしくなり、雅也が机から顔を上げたちょうどそのとき予鈴が鳴った。 
       まばらだった教室内が急に騒がしくなってくる。始業直前に駆け込んでくる生徒が多いためだ。 
       そんな集団の中に城の姿を見つけた。 
       城は人目を引く。派手な印象はないが、シャープな目元の彫りの深い整った容貌と少し長めの髪、バランスのとれた体型を持っている。女子に結構人気があるのも頷ける容姿だ。バンドをやっているという噂も聞いたことがある。『ギターを弾く姿が最高』とか言っていたのは、去年自分と一緒のクラスだった城の彼女と言われている女の子だったか。とにかく、そんな噂が雅也の耳にも入ってくる程度には、城は有名人だった。 
       その城は、制服のブレザーを肩にひっかけたまま後ろから入ってくると、ドアのすぐそばの席にさっさと腰を下ろした。あいさつだろうか、横の席から声がかかると軽く手を振って返している。一人でいることの多い雅也と違い、大抵城のそばには誰かがいた。口数は少ないが言いたいことははっきりと言う、そんな城に好感を持ったり、一目置いている者も多かった
      。今も数人が城の所に集まってきて何やら盛り上がっている。 
       クラスメートと話す城の、その少し笑った口元がなんとなくあの夜の表情と重なって、雅也はここが教室であることにわずかな違和感をおぼえた。 
       本鈴が鳴り、担任が入ってくる。いつもと変わらない朝の風景。  そして授業がはじまった。
 
  
       午前中、雅也はそれとなく城の様子をうかがっていた。視線が合うこともあったが、別に城の様子にいつもと変わったところはなかった。 
      『・・・やっぱり俺の考え過ぎか。でも今はほとぼりが冷めるまで城にあまり近づかない方が良さそうだ。あいつに興味は多少あるけど、ばれたらおしまいだし・・』 
       昼休み。雅也はそう結論を出した。 
      「何難しい顔をしてんの?」 
       急にかけられた声に顔を上げると、隣のクラスの清水が立っていた。例の『貴子をナンパ』した中学からの友人である。 
      「・・なんだ、清水か」 
      「なんだ・・ってお前、せっかく俺が一緒に弁当を食べようとはるばるここまでやってきたというのにそれはないでしょう」 
      「はるばるって、隣だろうが」 
      「ま、堅いこと言わない」 
       清水は空いていた雅也の前の席に、さっさと腰を下ろした。雅也の机の上で弁当を開く。雅也はコンビニで買ったサンドイッチを食べている。 
      「あれ、今日は静也さんいないのか?」 
       雅也のパンを見て清水が聞く。いつも雅也の弁当は兄の静也が作っていたし、雅也も料理はできる。清水は雅也の家庭環境もバイトも知っていた。 
      「いや、でも昨夜遅く旅行から帰ってきたから、弁当はいらないって言っておいたんだ。俺も寝過ごしたし」 
      「へぇ〜、お前が寝過ごすなんて珍しい」 
      「・・まあな」 
       まさか城のことを考えていてなかなか寝つけなかったなんてことまでは、さすがに清水にも言えない。 「なあ、雅也」 「ん?」 
      「お前、あっちで無理してるんじゃないか?」 
       声をひそめて聞いてくる。もちろん『あっち』とはバイトのことだ。清水はナンパで軽そうな外見と違って結構口がかたく、普段から無理しがちな雅也を何かと心配している。雅也のほうも清水を信用している。何でも自分で決めて行動する雅也も、1ヶ月前、店を手伝うことを決める前に清水にだけは相談していた。ただ、結局雅也が自分で決めてしまって、清水は今でも雅也が店にでることをあまり賛成していなかったが。 
      「別に、店では無理してないさ。むしろ結構楽しんでる」 
      「・・・お前、それヤバくない・・?」 
      「・・そうか?」 
       複雑な顔をしている清水に向かって、雅也は眼鏡を少しずらしてにっこり笑ってやった。営業用スマイルである。とたんに顔をしかめた清水に頭ごと抱え込まれた。 
      「いたた、苦しいって!」  
       ヘッドロックの状態でわめく雅也の耳元で清水が小声で言った。 
      「・・お前ね、その笑顔は犯罪だぞ。純粋な青年の心をもてあそびやがって」  
      「何言ってる、あのナンパはお前が勝手にまちがえたんだろうが」 
       もがきながら雅也も小声で返すと、急に回されていた腕が離れた。清水がさらに複雑な表情になっている。 
      「・・・ま、いいけどね。とにかくその営業用スマイルはあんまり出すな。変なやつに目をつけられても知らんぞ」 
      「変なって・・・お前ねぇ・」 
       ふと横に目をやると、雅也は自分たちに教室中の視線が集まっているのに気づいた。普段、あまりふざけたりしない雅也のいつもと違う様子に驚いているようだ。 
       急にばつが悪くなり、雅也は座り直してサンドイッチを黙々と食べ始めた。 
       昼食を食べ終わり清水も自分の教室に戻り、雅也が午前中に出た課題を片づけようとしていたとき、教室に担任が顔を出した。 
      「各務」 
       呼ばれてドアまで行く。 
      「悪いが、面談希望日の記入用紙をまだ出してない奴がいるんだが、明日までに集めてくれないか」 
      「わかりました」 
       めんどくさいと思ったが顔には出さず、雅也は担任の差し出す紙を受け取った。 
      「未提出者の名簿だ。よろしくな」 
       用事を済ますと、さっさと担任は帰っていった。 
       雅也は自分の席に戻り、さっそく名簿の横にチェックがついている人数と名前を確認した。 
      「・・・あ!」  
       その6人ほどの中に、何ともタイミングが悪いことに、城の名前が入っていた。 
      『・・なんで近づかないでおこうと決めた時に限って、こういうことを頼まれるかな・・・』 
       担任に文句を言ってもしょうがない。 
       雅也は教室を見回して、そこにいたチェックがついていた一人に声をかけた。 
      「島田、面談希望日を書いた紙、持ってるかい?」 
      「あ、出すの忘れてた」 
      「今、持ってる?あればもらうよ」 
       カバンから引っぱり出された紙を受け取る。 
      「悪いな、委員長」 
      「いーえ、雑用係ですから」 
       にやっと笑うと、同じように笑い返され、『お疲れさん』と言われる。 
       その紙を持って自分の席に戻ろうとした時、後ろのドアが開き、城が入ってきた。 
       突然の登場に驚いたが、別に自分が不自然になる必要はないんだと思い直し、雅也は脇を通り過ぎようとした城に声をかけた。 
      「何?」 
       雅也の呼びかけに振り向いた城の声は相変わらず低い印象的なものだったが、いつもと変わらなかった。 
      「面談希望日を書いた紙、今持ってる?」 
       さっき島田にしたのと同じ質問をする。 
      「いや、今日は持ってない。・・何だ、各務が集めるのか」 
      「雑用係だからね」 
       さっきと同じ様な受け答えをする。 
      「明日持ってくる。それでいいか?」 
      「ああ。よろしく」 
       まともに話したのはこれが最初かもしれない・・・落ち着いた話し方だ。 『あ、そういえば・・』  クラスメートのほとんどが自分を『委員長』と呼ぶのに、城は名前で呼んでいた。  たったそれだけのことがなぜか気になった。 
       その時、再び後ろのドアが開いてどやどやと騒がしい集団が入ってきた。 
      「・・わっ」 
       ドアに背を向けて立っていた雅也が身体をかわす暇もなく、話しに夢中になっていた人物と勢いよくぶつかった。 
       それがクラス一でかい山田だったのは、雅也の不運だろう。 
       突き飛ばされたようによろけた雅也は、傾いた身体を思わず右足で支えた。しかしそれが治りかけていた捻挫を再び悪化させることとなってしまった。 
      「・・つっ!・・」 
       激痛に顔をしかめる。 
       バランスを崩したまま机の上に倒れ込みそうになった雅也を、横にいた城が支えようとする。しかしさらにその上に体勢を崩した山田の巨漢が倒れ込んできたため、結局3人まとめて近くの机もろともひっくり返ることになった。 
       机の倒れる派手な音が教室に響く。 
      「・・?」 
       ・・・目の前が暗い。それになんか苦しい・・・ 
      「いって〜・・おーい、城、委員長、大丈夫か」 
       山田の声がする。 
       雅也が顔を上げると、とんでもない至近距離で城と目があった。 
       どうやらまた城を下敷きにしたらしい。 
       苦しかったのは、城の腕が雅也の身体にしっかり回されていたからだった。 
      「あ・・悪い、城」 
       あやまりながら身体を起こそうとしたが、城はなぜか動こうとしなかった。雅也の背中に回った腕もゆるまない。 
      「城?」 
       雅也の顔をじっと見ている城に向かって少し強めに呼びかける。 
       どうしたんだろう、頭でも打ったんだろうか。 
       少し不安になる。 
      「どうした、どこか痛いのか?」 
      「あ・・いや」 
       ようやく返事をすると、城の腕がゆるんだ。 
       雅也が身体を起こそうとしたとき、 
      「あ〜!痛いと思ったら切れてらぁ」 
       山田のとぼけた声がした。 
       思わずそちらを見た雅也の目に山田の左腕から流れている血が映った。床には血の付いたカッターナイフが落ちている。 
      『・・・!』 
       雅也の目の前に真っ赤な染みがぽたりと落ちた。 
       それを見たとたん、雅也の肩がふるえだした。 
      「各務?」 
       うつむいた雅也を城がのぞき込む。 
      「あ・・・」 
       突然顔が紙のように白くなったかと思うと、雅也は糸の切れた人形のようにそのまま城の方に倒れ込んだ。 
      「各務!」 
       慌てて抱きとめた城が強く肩を揺すっても反応がない。 
       雅也は完全に気を失っていた。 
      「わぁ〜!委員長が倒れたぞ〜!」 
      「誰か保健室からタンカもってこい!」 
       騒然となる教室の中で、城は雅也を抱き上げた。 
      「そこをあけてくれ!」 
       あっけにとられるクラスメートを残しさっさと教室を出ると、城は保健室に急いだ。
 
  
      to be continued...
 
  
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