DOUBLE PANDORA 1  /page2

佐伯けい

 はぁぁぁぁ・・・         
 週明けの朝の教室に思いっきり大きなため息が響く。
 窓際の前から二番目の席に座った雅也は、朝起きてからもう何度目かわからないため息をつき机に突っ伏した。
 予鈴まであと十五分近くあり、教室内の人影もまだまばらである。
 雅也の通う高校は、毎年有名国立大学に多数合格するレベルの、県内でもわりと名の知れた公立の進学校である。
 共学だが男子生徒の数が多く、雅也の属する3年1組は国立理系志望者が集まっており女子がいない。
 他のクラスから「男組」と言われているこのクラスの委員長が各務雅也である。
 まじめで成績優秀、でも頭が固すぎず細かい気配りができる雅也はクラスメートだけでなく教師からも信頼の厚い生徒であった。二年の前後期は生徒会役員にも選ばれたくらいである。
 もちろんこれも雅也の努力の賜物である。
 毎年成績優秀者に資格が与えられる奨学金制度・・・この奨学金を雅也は一・二年とも手にしていた。
 今日明日の生活に困る・・という程ではないが、両親のいない境遇で自分を面倒みてくれている兄の負担を少しでも軽くできればと思ってがんばってきた。できれば今年も手にしたかった。
 さて、この奨学金を手にするためには成績だけでなく日頃の生活態度、素行なども重要な鍵となってくる。何せ奨学生選考委員会は頭の固い人物ばかりそろっている。
 ・・・ちなみに校則でバイトは禁止、夜の仕事などもってのほか、即謹慎処分、下手すると退学である。
『・・・城のやつ、貴子の正体気づいてないよな・・』
 ばれてはいない・・と思う。自分の女装姿はかなりの化けっぷりだと店の人たちのお墨付きだし、中学からの腐れ縁の清水の前で十分間立っていても全く気がつかなかった・・・・どころかナンパしてきやがった・・・くらいである。
 雅也は、彼を見たほとんどの人が『綺麗』と評する、整った女性的な線の細い顔立ちをしている。睫毛の長い少しきつめの大きな目とバランスのいい小作りな鼻と口元、色白で華奢な体つきと相まって、中学卒業するころまでいつも女に間違われていた。高校に入学してから掛け始めた銀縁の眼鏡せいで硬質な印象が加わり、『女の子』と間違われることは少なくなったが、逞しさとはほど遠い顔と体型は変わらない。
 そのおかげで、薄化粧とカツラで見事な美少女になってしまい、バイト先の店の売り上げに貢献している。
 城もまさか自分のクラスメートがそんな変身をしているとは思わないだろう。
 だが万一、気づかれて噂にでもなったら雅也の立場は非常にまずくなる。
『気づいてもあいつが黙っていてくれる・・と信じられるほどにあいつを知っているわけじゃないしな・・・』
 というよりも、同じクラスになって一ヶ月半、ほとんど話したこともなかった。
『・・・でもさすがにあんなことをする奴だとは思わなかったけど』
 土曜日の夜を思い出すと雅也の口からまたため息が出た。


「まぁちゃん!何やってるのっ!」
 雨の中で雅也と城がひっくり返って、あまりの偶然に雅也が声を失っていた時、階段の上から大きな声が響いた。
「戻りが遅いと心配してみたらもう、ずぶぬれじゃないの!早く店に戻って着替えなくちゃ!」
 イチゴねえさんが雅也の腕を引っ張る。城の姿は目に入っていないのか無視しているのかわからない。だが彼を放ってはおけず、雅也は必死に踏みとどまった。
「まってください!あの・・この人も私の巻き添えでこけてしまって濡れているからタオルを・・」
「じゃあ一緒に店まで来てちょうだい!それが早いわ!」
 最後まで言わせずイチゴねえさんは再び雅也を連れていこうとし、彼が足を痛めていると気づくと軽々と抱き上げて階段をかけのぼった。
 あっと言うまである。
 『夜来香』と彫られた厚い木製のドアを蹴り飛ばして開け、イチゴねえさんは一番奥のボックスに雅也を降ろした。
 そのままタオルを取りに行こうとしたイチゴねえさんの腕を、雅也は力一杯ひっぱりやっとの思いで動きを止めさせると、顔を寄せてささやいた。
「ねえさん、あの人偶然会ったクラスメートだからばれないように・・・おねがい」
「え〜〜〜っ」
「し〜〜〜っ!」
 慌ててイチゴねえさんが口を塞いだ時、ドアが開いて城が姿を見せた。
「・・わかった、上手くやるからまあちゃんは奥に行って着替えなさいな」
「ありがと、そうする」
 雅也にささやき返すとイチゴねえさんは素早くドアに近づき城を引っ張り込んだ。
「おに〜さん、やだ〜ずぶぬれじゃないの〜〜。このイチゴねえさんがやさし〜く拭いてあげるから、ちょっとこっちに来なさ〜い」 
「え・・うわぁ!」
 そしてそのまま、目を丸くしている城を有無を言わさず膝の上に抱え上げてバスタオルで包むと、力一杯ごしごしとやりだした。
『城・・・生きてろよ・・』
 更衣室で着替えながら雅也は心の中で手を合わせた。

「あれ、ママ・・さっきの人は?」
 着替えて髪を乾かし、少し考えて化粧とかつらはそのままで更衣室から雅也が戻ると、すでに城の姿は店にはなかった。他の客ももういない。
「イチゴちゃんのもてなしに恐れをなして早々に帰ったわよ。『貴子ちゃん』の正体も気づいてないようだったわ」
 カウンターに座っていたこの店のママがくすくすと笑いながら答えた。
 ほっと胸をなで下ろし、雅也は近くの椅子に腰を下ろした。
 この桂子ママが雅也とその兄、静也の父親の弟、つまり二人の叔父である。もちろん戸籍上の性別は男。
 しかしその姿は黒いチャイナドレスに身を包んだナイスバディの絶世の美女・・・このショーパブ『夜来香(イエライシャ)』のオーナー兼看板ママである。そしてこの店のホステスはすべて・・・身も心も女の者から軽い女装の者まで様々ではあるが・・・男がやっている。
 店の中にはママとイチゴねえさんとレモンねえさん、そしてバーテンの松永がいた。
「まあちゃん、足まだ痛む?」
 レモンねえさんが心配そうに雅也の足を見る。
 レモンねえさんもイチゴねえさんも盛り上げ上手なこの店の二枚看板である。
 イチゴねえさんは・・・とてもたくましい体型と顔をしている。実際いくつもの武道の有段者らしく、客にからんでいたチンピラもどきを一瞬のうちに地面に叩き伏せたこともある。しかし極度の『かわいいもの好き』で、服はフリフリのヒラヒラが大好き。世話好きでしゃべり方は見事なおねえ言葉。イメージは『フリルのブラウスを着たプロレスラー』というところだろう。
 もう一人のレモンねえさんは、色白ぽっちゃりタイプ。ただし体重は百キロを軽く超える。性格もおっとりして顔は・・・やさしげなおすもうさんというところか。
 カウンターの奥から雅也を心配げに見ているのはバーテンの松永。黒のベストと蝶ネクタイが似合う、30代前半の柔和な表情の男である。
 ここにはいないが、このほかにニューハーフの絵里さん、それに雅也の兄である静也も『静』という源氏名で働いていた。
 雅也は身体をこわして先月から入院している絵里さんのピンチヒッターをやっているのである。
「雅也くん、痛むようなら家まで送っていくよ?」
 松永が申し出るが雅也は丁寧に断った。
 少し引きずるが、歩けないほどではない。
「静也くんがお休みの日に限ってこんなことになるなんて」
「本当に大丈夫ですよ、ママ。心配するから兄さんには内緒にしておいて」
「・・わかったわ」
 少し困ったような顔をしたが、雅也の頼みにママは頷いた。
 兄の静也もこの店で働いているが、この週末はめずらしく休みを取って一人で旅行に行っていた。
「じゃあ、お先に失礼します」
「気をつけて、痛むようなら絶対電話してよ〜」
「はい」
 イチゴねえさんの声ににっこりと返事をして、雅也はドアから出た。ゆっくり階段を下りる。
 雨のあがった通りを地下鉄の駅に向かって歩きだすが、数歩で止まってしまった。
 心配をかけたくなくて何でもないようには言ったが、実際、雅也の足はかなりひどく腫れてきていた。店の救急箱から湿布をもらって貼ったが効果はないようだった。
 雅也の乗る地下鉄の終電まではもう時間がないが、走るのはとても無理だった。
『・・・しょうがない、タクシー拾おうか・・』
 イチゴねえさんに知れたら何で連絡をしなかったかと呆れられるのはわかっていたが、雅也は昔から人の好意に甘えるのが苦手だった。友人で唯一心を許している幼なじみにでさえそうであり、その友人には人間嫌いと評されている。
 ・・雅也本人はそんなつもりはないのだが・・・。
 タクシーを拾うため大通りまで出ようと、右足をひきずりながら雅也が再び歩きだしたその時、ふと顔を向けたすぐそばの店のシャッターにもたれて城が立っているのに気づいた。
「・・・!」
 ほぼ同時に雅也に気づいた城は、身を隠す暇もなく立ちつくす雅也にゆっくりと近づいてきた。
 どう見ても城は自分に用があって待っていたに違いない。
『やっぱり・・正体ばれたか・・?』
 一気に雅也の心拍数がはねあがった。
 目の前に立った城は頭半分高いところからじっと雅也を見下ろしている。その表情からは何も読みとれない。
「あの・・・何か?」
 開き直って、雅也は営業用スマイルでたずねた。だが城はやはり何も言わず、ただ雅也を見ている。
「あの・・」
 不安になってまた口を開いたとき、城が手にしていた黒いヘルメットを雅也の手に押しつけた。
「え?」
「あんた、さっき足痛めたんだろ。送るよ」
「・・・は?」
「歩くの辛いんだろ?家まで送る」
「送るって・・」
 雅也の表情が曇る。
 どうやらばれたわけではないらしいが・・・もっとたちが悪い。
 今までもこの格好で歩いていて同じように呼び止められたことは何度もあった。そしてそんなナンパ男たちは皆、自分が声を掛けた相手が男だと気づくと気味悪げに逃げていくのである。
『・・・こいつも他のナンパ男達と同じか・・』
 わざと大きなため息をついて、雅也は渡されたヘルメットを城に突き返した。
「あのね、俺はこんな格好してるけど男なの。ナンパなら他をあたれよ」
「ナン・・パ?」
 城が目を見開く。
「違うのかよ」
「そうか・・はは、なるほどそうだな」
 肩を竦めて小さくつぶやくと、城は雅也に再び視線を合わせてクスッと笑った。
『え・・』
 その表情に雅也の胸がどきりとする。
 教室ではここまで間近に顔を合わせたことはなかった。
 今、初めて自分に真っ直ぐに向けられているのは大人びた印象的な笑顔。
 こんな・・・こんな顔するやつだったのか・・。
「悪い。確かにさっきのはナンパのセリフだな。でもそんなつもりはなかった」
「え・・?あ・・」
 自分は歩道の真ん中で城の顔をずっと見つめてボーっとしていたらしい。気が付くと、城に肩を支えられて通行の邪魔にならない道路脇に寄って立っていた。
 至近距離で城が小声で話す。
「あんたが男なのはわかってる。あの店がどんな店なのか、あのでかくてごつい派手な人を見たらすぐわかるぜ」
 ・・・もちろんイチゴねえさんのことだろう。
 男だと知っているならナンパじゃなく何か別の理由があって待っていたのだろうか。
 どっちにしてもどうやら自分は思い違いをしたらしい。
 そう思ったとたんにどっと顔が熱くなるのを感じた。
「じ、じゃあ何で・・送ろうなんて・・」
 赤くなった顔を隠そうとうつむく雅也を見て、城の口元がまた笑う。それだけで雅也は自分の顔がますます赤くなってくるのがわかった。
「階段であんたを受け止めきれなかったから。ちょっと責任を感じて待ってた」
「そんな・・・あなたが気にすることじゃない。こけた俺が悪いんだから」
「とにかく、足痛いんだろ?あんたがよければ送っていくけど」
 本当ならすぐに断るところだが、雅也の足の痛みは限界に来ていた。送るという城の言葉にも表情にも他意は感じられない。
『男だとわかってて変なところに連れ込まれることはないだろうし、駅まで送ってもらうだけなら家もばれないだろうしな・・・それにわざわざ待っていてくれたのを断るのも悪いし・・・・あれ・・』
 ぐるぐると頭の中を回っているのが自分に対するいいわけだということに気づく。
『・・・なんだ俺、すっかり送ってもらう気じゃないか』
 雅也は苦笑した。
 誰かともう少し一緒にいたいと思うなんて、初めてかもしれない。
 自分はどうやら城という人間に興味が出てきたらしい。
 夜中の繁華街で会ったことがきっかけだなんて多少問題だけど。
「・・じゃあお言葉に甘えていいかな」
 返事の代わりに雅也の手に再びヘルメットを渡し、城は道に止めてあった黒いバイクにまたがった。

「おい。もうすぐ駅に着くけど」
「あ、ここで止めてください!」
 夜の繁華街を抜け、20分ほど走った郊外の地下鉄の駅の前で、雅也は自分がしがみついている広い背中に向かって叫んだ。
 バイクはゆっくりと歩道に寄って止まった。
 だが雅也はすぐには降りられない。
 初めて乗ったバイクのエンジン音の大きさと風をきる感覚、そしてスピード感に圧倒され、夢中で城の腰にしがみついていた。城に言われるまで自分がどこを走っているのかさえわからなかった。
「大丈夫か?」
「・・なんとか」
 よろよろとバイクから降りる。が、つい右足に体重をかけてしまい崩れそうになった身体を城の腕が支えた。
「本当に大丈夫なのか?家まで送るぞ」
「自転車が置いてあるから乗っていかなきゃ」
 止まった場所から20メートルほど先に駐輪場があった。
「どうもありがとう。助かった」
「いや・・」
 背中に回っていた城の腕が離れ、雅也が歩きだそうとしたとき、突然強い力で腕を引かれた。
「!」
 何が起こったのか考える間もなく、雅也は城の胸に抱き込まれていた。
 息がつまるほど強く胸に押しつけられた耳に速い鼓動が聞こえるが、自分のものなのか相手のものなのかもわからない。
『な・・なんだなんだ〜〜!』
 どれくらいの時間がたったのか。
「・・下心はないつもりだったんだが・・・悪い」
 呆然としている雅也を離し、城はそのままバイクに乗り去っていった。
 そしてその姿が見えなくなるまで、雅也は動くことができなかった。


to be continued....


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