DOUBLE PANDORA 1 /page1

佐伯けい

 華やかな光の洪水の中に色とりどりの衣装を身にまとった美しい魚達が踊っている。その緋色の指先がからんでいるのはくすんだ色のスーツを着た疲れた魚・・・
 雨に濡れた繁華街を遠くから見るとこんな風に見えるのかもしれない。
 非日常的な時間。
 巨大な水槽の中を泳ぐ無数の魚たち。
 
 現実の世界ではそれぞれが様々な枷に繋がれた人間達であるのだけれど・・・・
 

 夜もふけ、仕事を終えて仲間と酒を飲み前後不覚に酔っ払った者も、上司との接待で飲んでも飲んでも酔えなかった者もそろそろ家路につこうかという時刻。
 この地方では随一であるこの繁華街では、今夜も細い路地に酔っぱらいを乗せたタクシーが溢れ、至る所でクラクションが響いていた。
 それを横目に最終ぎりぎりの地下鉄に乗るために、足早に駅に急ぐ人の流れももうしばらくすると途絶え、いつものように街全体を包んでいた熱が少しずつ引いていくのだろう。
 
「どうもありがとうございましたぁ」
「またいらしてくださいね」
 小さなスナックやバーが入るビルが立ち並ぶこの辺りでは、この時間はどの店も客の見送りが重なり、狭い路地がごった返す。
 そんな喧噪の中で、ひときわ目立つ大きなシルエットがビルの階段から降りてきた。正確に言うと降りてきた人数は4人。一人だけが目立つだけであるが。
 小雨のなか、呼んであったタクシーにその中の二人が乗り込んだ。身なりの整った中年の男性である。上司とおぼしき男の方はかなり酔っているようで、一緒に降りてきた小柄な女性の手をしっかりと握り、タクシーに一緒に乗せようとしている。セミロングの髪にタイトスカートの、大きな目が印象的な美少女だ。
「貴子ちゃん、私のなじみの店でいい酒を出すところがあるんだ。ね、まだやってるから一緒に行こうよ」
「専務さん、もう遅いですからね?お身体に障りますよ」
 貴子と呼ばれたその女性は、にこやかに笑いながらもさりげなくその男性客の手を離させ、タクシーのドアを閉めた。
「貴子ちゃん、君に逢いに絶対また来るからね、絶対つきあってよ!」」
 男がしつこく車の窓から手を出してさらにその腕を掴もうとした。
 その瞬間、
「あっら〜、貴子ちゃんだけぇ〜?あたしは〜?」
 その男の手を、貴子の隣で目立っていた大柄な人物が目にも止まらぬ速さでがしっと掴んだかと思うと、おしろいを塗っても全く隠れていないあごひげの青い剃り跡にじょりじょりっと押し当てた。
「うわぁぁ!」
 慌てて手を引っ込めると、客は引きつった笑顔を浮かべながら急いで窓を閉め、タクシーを発車させた。
「お気をつけてぇ〜」
 貴子よりも頭一つ半分背が高く、肩幅は倍はありそうな人物が、顔の横で手を振りながら独特の甘えたイントネーションの野太い声で送り出した。
『・・・もう来ないかもしれん、あの客。まぁ、そのほうがうれしいけど』
 タクシーのテールランプが見えなくなるまで見送ると、貴子の口から思わずためいきがもれた。
「もう〜、災難だったわねぇ」
「・・イチゴねえさん・・」
 ため息に気がついてとなりのイチゴねえさんと呼ばれた人が貴子の肩を大きな手でぽんぽんとたたいた。
「いっぺんがつんと言ってやらなきゃわかんないわよ、あんなやつ。うちはおさわりバーじゃないんだから、いっくらまあちゃんがかわいいからってべたべたする奴はあたしが許さないわよ!」
「ね、ねえさん・・?」
 たっぷりとしたフリルのついた半袖の白いブラウスからのびる、見事に発達した上腕の筋肉をいからせて今にも階段の手すりを壊してしまいそうな様子に、慌てて貴子はその広い背中を両腕で階段の方に押し出した。
「大丈夫、たいしたことはされませんでしたし。それよりここじゃねえさんも私も雨に濡れちゃいますよ。店に入りましょう」
「たいしたことされてからじゃ遅いのよ〜!」
「そりゃそうですけど・・とにかく中にはいりましょう」
 道行く人々の注目を浴びているのに気づいて、まだ吠えているイチゴねえさんを急いで階段の上の店まで連れていき、貴子は階段に置き忘れた傘を取りに階下に戻った。
 赤い傘を手に取り、水をきる。
 このバイトを始めて一ヶ月。客の扱いもかなり慣れてきた。酔っ払って自分の身体を触りに来る客をうまくかわしてしかも機嫌よく帰ってもらった時など、よっぽどこの仕事は自分に合っているのではないかと考えてしまう。今年高校を卒業したら、進学せずにここに就職するのもいいかもと思ったくらいだ。
 多大な恩のある伯父が困っていると聞いて、半ば無理矢理に手伝っているのだが、最初から結構自分も楽しんでいるのを自覚していた。
「・・・でも男ってわかんないよな」
 思わずつぶやく。
 ごく普通の家庭をもつ男達が、何で自分にすり寄ってきて、しかも触ろうとまで思うのだろう。
 自分も同じ男なのに。
『・・・そりゃうちは店が店だからこんな服着て化粧してるし俺も女顔だけど、体型は男なんだし触っても胸なんかないのになぁ。絵里さんやママみたいにナイスバディなら分かるけど・・』
 なんとなくさっきの客の手を思い出してぞわっとする。
 結構しつこい客だった。冗談で多少触られるのには慣れてきたが、あの男は名前を何度も呼びながら服の中にまで手を入れてきて、しかももう少しで唇まで奪われるところだった。
 普通の店のホステスさんにも相当悪名高い客らしく、相手がおかまならそこまで乱れないだろうと思って部下がうちの店に連れてきたら、運の悪いことに「貴子」がもろに好みのタイプで結局いつもの御乱交・・・というわけである。
『・・あんなのにファーストキスを奪われたら俺の人生の最大の汚点になるところだったな・・』
 ちなみにその客が連呼していた「貴子」というのは店での源氏名で、バイト前から彼を知っているイチゴねえさん達は本名の「雅也」から「まあちゃん」と呼んでいる。
 なんか今日は疲れたな・・・
 腕時計を見ると、もう日付が変わっていた。雅也のバイトは十時までなのでかなりの時間オーバーだ。
「もう・・あの客のせいだ」
 ぶつぶつ文句を言いながら階段を駈け上ろうとした。
 そのとき。
「・・・わっ」
 ゴリっという鈍い音がして急に身体のバランスが崩れ、そのまま後ろ向きに落ちる感覚があった。
 ・・・落ちる・・!
 手すりに向かって伸ばした手は空を掴み、きつく目を閉じて頭から数段下の地面に落ちる覚悟をした瞬間、
 ドンっ
 背中が地面よりはやわらかいものにぶつかった。
 思っていたほどの衝撃はない。
 ・・何が起こったんだ・・?
「大丈夫か」
「・・・え?」
 すぐ真横で声がした。低めだけどよくとおる声。
 真っ白な頭で、『いい声だな』と思った。
「おい、動けるか」
 再び耳元で声がして、頭がようやく回り出す。
 ゆっくり目を開けると、自分の脚が視界に入った。
 見慣れた階段とコンクリートの地面、そしてヒールの折れた自分の靴が目に入り、さらに自分の腰と肩にまわっている誰かの腕が目に入る。
 階段から落ちた自分をを支えようとしたか運悪くぶつかったのかはわからないが、地面に倒れ込んでいる自分とその背中で下敷きになっている男がいる。しかも雨が降り注いでいて自分ももう一人もかなり濡れてしまっている・・・
 ・・どうしよう・・
「おい、そろそろ降りて欲しいんだが・・」
 青くなっている所に耳元で言われ、雅也ははっと顔を上げた。
「いょ〜っ、こんな所でお熱いねぇ」
 通りすがりの酔っぱらいにひやかされて、自分がまだ背中から男の腕に拘束されている状態だったのに気づく。
「あ、す、すみません!」
 今度は真っ赤になりながら雅也は立ち上がろうとした。
 途端に右足首に激痛が走る。
 再びひっくり返りそうになる雅也を、素早く立ち上がった男が支えた。
「大丈夫ですから・・」
 痛みに少し顔をしかめながら雅也は傍らの男を見上げた。
「・・・!」
 途端に息を飲む。
 驚いた。
 死にそうなほど驚いた。
 実際、心臓が数秒間停止していたんじゃないだろうか。
 長めの前髪からのぞく切れ長の目が驚く雅也をじっと見つめている。いつもあまり表情を変えないその顔が少し驚いているように思えたのは雅也が動転していたせいだったのか。
 そう、頭半分高い場所にあるその男の整った顔に、雅也は見覚えがあった。
 見覚えどころか毎日合わせている顔だ。

 至近距離で見たその顔は、雅也が通っている高校の同級生、城達章のものだった・・・。


to be continued....


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