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藤沢基紀

『丁度この場所だったよな。』
 少し感慨深く思いながら俺はその風景を目に映していた……。

   *   *   *

 今隣を歩いている俺より少しばかり小柄な身体。あの時、この場所で見つけたこの大切な存在。一年後の今、こんなに近くにあるものになるなんてその時には思いもよらなかった。
「おかしいなぁ」
 周囲を見渡しながら希がつぶやいている。

 郷間 希(ごうま のぞむ)。こいつがその時に俺がここで見つけた大切な人間。みっつばかり年下のこいつに出会ったのが、昨年の丁度この時期、この場所だったのだ。
 入試発表の会場のあんなにも人がいる中で、俺はこいつの存在だけに引き寄せられる様にそこに立ち止まってしまったことを不思議に覚えている。そして、その後人波の中に見たあいつの姿のことも。
 希の周囲だけが俺には違う空間に見えて、その後もずっとやけに頭に残っていた・・・。

 様々な様相を呈してその合否を表現している人間達の中、感情をどこかに置き忘れた様に掲示板を見やったまま立っていたこいつ。視覚にはしっかり映ってるのに、俺にはその身体ごと希がそのまま空気に溶けていってしまいそうに思えた。
 だから再会した時、どこか『透明感』のある印象は同じなのにそのしっかりと地に着いた存在感を感じてその時の印象とのギャップにびっくりしたものだった。

「徹也さん」
 呼びかけられて俺は我に返る。視線は人の中に泳がせて目的の人間を探し続けながら希が言った。
「この辺で待ってるって言ってたんですけど・・・」
 くるりとこちらにその真直ぐな瞳を向ける。
「あいつ迷ってるかもしんないから、俺ちょっと探してきます。ここで待っててもらっていいですか?」
「ああ、行ってこいよ」
 軽く笑って返してやると「はい」と少し嬉しそうに笑ってそのまま人の波の中へ駆け出して行った。

 発表日の今日、同じ大学を受験した希の高校時代の後輩が、上京してきているらしい。きょうびわざわざその学校まで足を運ばなくても合否は解るのだろうが、“こんな機会でないと内地へでることもないから”とは昨年の希の弁。
 希自身が去年ここに居たのにはもっと別の意味があったようだが、それを聞いてやれたのはずっと後のことだった。
 東京はこの進学の機会で来たのが初めてらしく、こちらで生活し始めてから暫くは、この都会での暮らしについていけなくて端から見ていた俺達もひやひやする程こいつには大変だったようだ。ずっと都会と言われる環境の中で育ってきた俺達にはなんでもない風景も習慣も、その目には珍しく、そして大変にも映るらしく、その様子に俺が新鮮な思いをすることも多かったくらいだ。

「て・つ・や・くん」
 その姿を目で追いながら、先程希と別れた喧騒の中から心もち離れ、それでも希から姿が目につきやすいようにとだけは気をつけてひとり立っていた俺に、妙に軽い声でそんな言葉がかかる。誰だか等と確認するまでもない。俺はがっくり肩の力を落として、ついでに声のトーンもしっかり落としてその声の主を振り返ってやった。
「きもと〜っ」
「はぁい」
 ねめつけてやっても、この悪友には効くはずもない。ひらひらと指を踊らせて返事してやがる。
「いやいや、希くんの姿が向こうから見えたもんでねぇ。どしたのかな〜と思ってこっちに来てみたんだけど、やっぱ一緒だったね。相変わらず仲良さそうだから声かけようか迷ったんだけど」
「嘘つけ」
 お前がそんな遠慮をするタマか、とは口に出しはしなかったが、きっとそんな俺の心情はこいつには十二分に解っているに違いない。

 この軽い声の主は基元 義則(きもと よしのり)。大学に入ってからの俺の連れ。というか、もう既に「くされてる」縁になるのだろう。
 俺と希のこともこいつだけは初めの頃から知ってるもので、その辺の所を隠さなくてもいいってのも助かってはいるがその分のデメリットも充分にしょわされている気にさせてくれる有り難い奴だ。確かにいい奴ではあるのは認めはするのだが……。
「んで、わざわざこんなとこでどうしたの。希ちゃんは誰か探してるわけ?」
 用があるから“わざわざこんなとこ”にいるんだろうが・・・とも迂闊に言えもせず。
「あいつの高校時代の後輩がうち、受けたんだと。今日発表見に来るからって会いに。それから、何度も言うが『ちゃん』はやめろ」
「保護者同伴でか?」
「るさいっ。俺は保護者じゃない」
「そーかなー」
 俺の返事の後半部分はさらりと流し、両腕を頭の後ろで組んだ状態のまま人いきれの方を見ながらいらぬ口をはさんでくる。殆ど同じ体格ではあるが、ほんのわずかに俺より身長のある基元の顔を横目で睨みつける。
 本当にこの飄々とした態度はなんとかならんものなのか?理解者でいてくれるのにはふかーく感謝しているが、こういう一言多い性格だけは何とかして欲しい。

 しかし、ここでこいつが俺のことを『保護者』呼ばわりするのは仕様がないかもしれない。希自身しっかりはしてるとは思うし、周囲もそれは認める所でもあるのだが、俺自身が放っとけなくて勝手に保護者な気分になってしまってるのだから。
 これじゃ、子離れ出来ないばか親と一緒だとも自覚しているのだが、もっと甘えて欲しいとまで思ってる。それでも随分俺には甘えてくれるようにはなったのだけれど。
 でも。もう少しだけでも、あいつの気持ちを支えてやりたいと思うこともやはり甘やかしなのだろうか……。

「ほれ司城、見つかったみたいだぜ」
 無言で抗議している俺を意にも介さずにいた基元が顎をしゃくって指す方向を見やると、希が探し人を見つけたと思われる方向に手を上げ合図している。その先には大きなバッグを肩にかけた小柄な少年が見えた。
 希に気付いたようだ。
「行くか・・・」
 つぶやいて足を踏み出した途端、俺は思わず身体の動きを止めてしまった。
 その少年の身体が希の胸の中へ飛び込む様子が俺の目に映る。勢い後方へ傾いだ希の身体はそれでもとどまって立て直し、飛び込んできたその頭をあやす様に叩き始めた。
「おやおや」
「・・・・・」
 呑気な声が横で聞こえる。基元の言いたいことは解ったのだが、勿論敢えて無視だ。
 突然のことで俺もびっくりしてしまったが、別になんてことはないんだからと。
 妙に動揺してしまった自分に自己嫌悪の様な気分に浸りながら再度足を進め、俺は彼等に歩み寄った。

「希」
「あ、徹也さん」
 俺の呼びかけに応え、希は腕の中にその身体を置いたまま、少しはにかんだ様に俺を見上げてくる。
 腕の中の少年も身体を軽く震わせた。
「こいつが言ってた後輩の大木森林(おおき しんり)。受かったって」
 視線を後輩の子に戻して、嬉しそうな表情でその頭を見ている。
 トントン、とあやす様に動く指の動きが柔らかく、優しい。
 とても大切に思っている後輩であるというのが簡単に見て取れた。かわいがってもいるのだろう、『受かったって』と口に言葉を乗せた時の表情は、まるで自分のことの様に嬉しそうで。

 ・・・いや、自分の時よりずっと、か。
 昨年のこの場所でみた、希の様子を思い出してそう思った。
 『合格してたんだけど、嬉しかったって感情はあんまりなかった気がする。それよりは・・・』
 いつだか、その時の事を尋ねた俺に希は曖昧に笑って 
 ──自分にもよくわかんなかった。と、言っていた。

「大丈夫か?」
 鼻をぐずぐずいわせながら顔を上げようとする後輩を、希は正面から覗き込む様にしながら声をかけている。
「すいません」
「気にすんなよ。ほら、落ち着いた?」
「はい」
 いい先輩してるよな。その子に本当に慕われているのが見ていてわかる。
「じゃ、改めて」
 後輩の子をそっと促してやり俺達の方に向き直る。
「徹也さん、あ。どうも。基元さんも一緒だったんですね。こいつ、俺の高校時代、っていうか、中学の頃からの後輩の大木森林って言います。…大木」
 隣の基元に気付き、会釈をしてからまず俺達にその子を紹介した。基元も簡単な挨拶を返している。そして、希は彼にも挨拶を促した。
「はじめまして。大木森林です」
 涙を流していたと思える顔を少しバツが悪そうにしながらも、彼はきっちりと挨拶を返してきた。しかし、それが少しばっかり挑戦的にも思えるのは、俺の気のせいなのだろうか?
 最近の子にしては小柄な部類に入るのだろう、まとう雰囲気もどちらかというとまだ『元気な少年』の印象を受ける。
「こちらこそ、はじめまして。俺は郷間くんの先輩で司城徹也(しじょう てつや)。で、こっちのは・・・」
「その相棒の基元義則。よろしくなっ」
 俺の言葉尻を掠め取るようにして基元は軽い口調で名乗った。
「しかしめんこいねぇ。希ちゃんもだけど、俺、道産子のイメージ一新しなきゃいけないかもなー」
 その上、また基元の奴は一言多かったのだ。しげしげとその姿を眺めた後、そんな風に言ってしまったのだ。
 いつだったか最初の頃に、希の口からでた『めんこい』という言葉を気に入って多用しているようだが、今回それはタブーの言葉だったらしい。
「なん、だってっ!?」
「ちょっ、森林やめろっ! ちょっと〜っっ」
 途端に今にもつかみ掛らんばかりに怒りを露にした後輩の子の反応の早さにも驚いたが、それを正面から抑えた希の反応もそれに同じくして早かった。もがく身体の止め方も的を得ていて思わず事態を他所に感心してしまいそうになったくらいだ。
 もしかしたらこういうの、慣れてるんじゃないか?「こいつ、そう言われるの駄目なんですよ〜っ。おさまれ、しんり〜」
「それだけじゃないんですっ。こいつ、先刻から先輩のこと希ちゃんなんてっ」
 おおっ。そこの所は俺もおおいに彼に賛成するところだったが、とりあえずの所困っている希をほおっておくわけにもいかず、まずは希に加勢しようとしたのだが、
「触んなっ。だいたいあんたもなんで先輩のこと呼び捨てなんだよっっ」
「森林!!」
 俺に矛先が向いて驚く間もなく、今度は俺達が聴いたことがないような希の厳しい声が飛んでいた。
 ビクッと端目に見ていても解るくらい呼ばれた本人は身体をはねさせ、途端に動きを止めてしまっていた。
 しかし驚いたのは彼だけじゃない。俺と基元も何が起こったから解らないように、阿呆のように呆然とつっ立っている。一瞬のうちに身体の動きが止まってしまった・・・・。
 一瞬、カクンと。自分達の回りだけが時間ごと何もかも止まってしまったように、妙な『間』があく。

 そんな中、当事者の希は首をすくめ、やっちゃった、と人さし指でこめかみの当たりをかりかりやりながら俺達を上目使いに伺い見た。
「あ、の〜?」
「・・・・・」
「てつや、さん?」
「あ、ああ・・・」
 それでも動けないままの状態でいた俺達に困った様に声をかけてくる希に、しばらくしてからやっと俺は反応を返すことが出来た。
 気配で、隣の基元も大きくひとつ息を吸い込み、それから肩の力を抜いたのが伝わってくる。本当に俺達は同じ状態に陥っていたようだ。
 そんな俺達を見て希はちょっとばつの悪そうな顔をして言った。
「ごめんなさい。驚かしちゃいました、よね?」
「いや・・・」
 一応否定する言葉を口にしようとしてみるが、俺はきっと引きつった表情してるだろう。
 正直言って驚いた。希は一見穏やかにしか見えないのだが少々頑固で、見かけよりは気性は激しいほうだと俺は一応知っている。しかし、声を荒げる所などは今まできいた事がなかったのだ。

 口ごもってしまう俺に、にわかに希の瞳が不安の色をそこにのせ、悲しそうに曇る。

 その様子に知らず手を希にのばしかけていた俺は、間に入ってきた言葉に我に返り急いでその手を引き戻した。
「先輩。あの・・・すみませんでした」
 森林くんの声。
 希の袖口を軽く引っぱって、その注意を引いてくれたおかげで俺のしようとした事は希には気付かれなかったようだ。

 そのまま森林くんの方を向いた時には、希の表情は元の様子に戻っていた。大切な後輩に向ける、優しい顔に。
「こんな所に来てまで、いきなりまた怒らせてしまって・・・。ほんとに・・・ごめんなさい。」
 殊勝に頭を下げる森林くんに「かまわないよ」、と希はその肩を軽く叩いてやり目を合わせてうなづくと、もう一度、今度は軽く身体の向きを変えるように彼の腕の辺りを押した。森林くんも目が合った時心得たようにうなづく。そして、向けられた身体の正面になった俺と基元に、躊躇なく一度頭を下げた。
「司城さんと、き、もとさん?」
 そしてチラッと希の方を見やって首が上下するのを確認し、それにもう一度勇気を得た様に今度は先刻よりもう少し丁寧に頭を下げて俺達に向かい合った。
「どうも失礼しましたっ。改めてはじめまして、俺、郷間先輩の中学時代からの後輩の大木森林です。よろしくお願いしますっっ」
 勢いの良さはそのままに、だが、今度は礼儀正しく改めて挨拶をしてくれた。
 しかし。
 一度、そこまでの言葉を区切った後、頭は垂れたままで彼はしばしの間を空けた。そしてちらと、ほっとした表情で自分を見ている希に視線を向けたと思うと、更にこんな言葉を続けてくれたのだ。
「いつも希先輩がお世話になってますっ」
「なっっ!」
 これには俺も基元も思わず吹き出してしまっていた。
 ひとり真っ赤になってまた後輩につかみ掛かっていった希をよそに、肩の震えがおさまらなくなる。
先輩の立場の希には悪いがこんな状況ではどっちが子供なのやらと、俺には思えてしまう。
 俺の横にいる基元に至っては、先ほど固まった後も珍しくここまで無言でいた反動か、目に涙まで浮かべて笑っていた。
「何がおかしいんですかっ」
 そんな俺達にも希はそんな声を飛ばしてきた。
 怒り口調ではあるが、先ほど俺達が驚かされた様な声音ではない。本人にしてみれば必死なのかもしれないが、拗ねた色を含んだ言葉の上、それが必死であるだけこちらには可愛くしか映らなかった。
 ましてや、顔をまっ赤にしながらなのだ。
「ああ〜っ。さいっこー」
 腹を押さえもう一方の手で目元をこすりながらなおも苦しそうにして、それでもようやく基元が言葉をはいた。そしておもむろに二人に近づくと、むうっとしたまま動きを止めて自分を恨めしげに睨んでいる希から後輩の子を引き剥がし、「やってくれるねぇ」、とその子に親指を立ててみせている。
 それに対してふんっと、鼻息が聞こえそうに偉ぶった後、森林くんがニッと不敵に笑うのが見えた。
(こいつらなかなかいいコンビになるんでないか?)
 そんな風に思っていると、ふと、基元は俺の方を振り返り軽く顎をしゃくって合図を寄越してきた。
 その先には、まだいまひとつ納得いってないような、希のふて腐れた顔。
 こちらのフォローは俺がしろってことを言いたいらしい。
 そのまま俺が近づいてその頭上を宥めるようにトントン、と叩くと、希は不機嫌さを隠すこともなく、俺を睨み上げる。いつもからは考えられない不穏なオーラまでが見えるようだ。
 良く考えたらここまで不貞腐れた希の姿は、なかなかに見られないもだった。何だかその姿が、おかしくてまた顔が緩んでしまったが、それが余計に希の不興を買ってしまったようだ。
 そのまま希は、少しばかり乱暴に俺の手を掴んで振り払いもうひと睨みくれた後、くるりと俺に背中を向けてしまう。
「森林、行くぞ」
「おいおい」
 困ったもんだ、と俺は声をかけてみるが完全に無視を決め込んだ様だ。
 ま、いいけどね。別に本気で怒ってるわけでもないのは解るし。
「行くって?そーいや、今日はどうするんだ?」
 希の言葉を受け取って繰り返した言葉を、基元が森林くんに違う質問に代えて振っていた。
 その間にも希が移動を始めてしまったので、あとの俺達は慌ててその後に続く。
 俺はそれでもやはり希の傍に。基元と森林くんは少し後ろを二人でついてくる。
「まずは親にだけ連絡して、後はとくに予定はなし。適当に希先輩にこっちを案内してもらう約束」
「いつまでいるんだ?」
「うーん。受かったからこっちでいろいろ準備もしなきゃいけないし・・・準備にどのくらい日にちがいるのかな。それによって・・・」
「あれ、じゃ泊りは?」
「先輩のとこ」
「は?」
「へ?」 
 同時に発せられた間抜けたこれは、俺の声だった。
 希の様子をみながらも呑気に後方の会話を聞きながら歩いていた俺の耳に、今聞き捨てならない事柄が聞こえた気がしたんだが。
「希ちゃんのとこ?」
「『ちゃん』は止めること。そ。先輩の家に泊めてもらうことになってるんだ。ね、先輩」
 俺より先に聞き返していた基元に、もう一度呼び方の釘をさしておいてから森林くんはこともなげにそれを肯定してくれた。
 ちろ、と基元の視線が伺うように森林くんからこちらに移ったのを感じたが、そんなものは俺には知ったこっちゃない。
「のぞむっ」
 俺はそんなこと全然聞いてないぞっっ、と続ける前に希は実にさらりと言ってくれたものだった。それも俺の顔も見ずに、だ。
「せっかく俺がこっちに居るのに、ホテルなんかもったいないじゃないですか。それも何泊になるかわからない状態で。去年自分でも困ったから森林にも来いって言ってやっただけ。まさか徹也さん、可愛い後輩がわざわざ遠くから来てるのに放っておけなんてことは言わないですよね」
「そりゃ・・・」
「そういうことですから」
 俺が答えに窮していると、にっ、と作った笑い顔をこちらに向けて希はその話を完結してしまった。

 それからしばらくは・・・、希が今までなかなか見せなかったもう一つの面の対応に俺は四苦八苦し、その様子をすっかり楽しんでいるらしき後方にいる二人に歯噛みしながら時間を過ごしていた。

 情けない・・・。

to be continued... 

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