風の行方 (Double Pandora 番外編2)/ 前編

佐伯 けい


「いよ・・・っと」
 小さなかけ声とともに、雅也は手にしていた着替えやその他もろもろが入ったカバンと、7月のこの時期には不似合いなジーンズ地の長袖ジャケットを足下に置くと、マンションの入口の階段に腰を下ろした。
 朝6時前。夜が明けて間もないこの時間、道に人影はなく、時々目の前を車が通り過ぎていくだけだ。
 部屋を出てくるとき兄の静也はまだ寝ていた。3日前に、友人とバイクで2泊3日の旅行に行くと伝えた時はあまりいい顔をしなかった兄だが、結局許してくれた。
 泊まる宿の連絡先と城の家の電話番号を書いた紙はテーブルの上に置いてきたから、起きたら見るだろう。
 大きく息を吐く。
 なんだか緊張してきた。
 生まれて初めて兄以外の人間と二人で旅行する。少し前の自分なら信じられないことだ。しかもその相手は城。
『泊まりでどっか行くってことは・・・やっぱり・・覚悟決めろってことだよな・・』
 と、考えた途端に顔が赤くなった。
 夜のバイトをしていた関係上、やたらと耳年増になってしまった雅也だが、聞くのと自分が経験するのとでは天と地ほどの開きがあるだろう。
 でも。
 どうにも実感がわかない。
 別に怖いわけじゃないし、もちろん嫌とも思わない。ただ・・自分のことに思えないだけだ。
『・・・ま、なるようになる・・・だよな』
「各務」
「ぅわっ!」
 急に呼ばれて顔を上げると、目の前に城が立っていた。
「・・・どうした?」
「何でもない」
 あわてて立ち上がる。
「荷物はこれだけか」
「そうだけど」
「こっちに貸してくれ」
 言いながら城は雅也のカバンを受け取り、代わりにヘルメットを渡した。
『・・ああ、びっくりした・・』
 ヘルメットをつける手がわずかに震える。自分が考えていたことを知られたような気さえしてくる。
 なんとかつけ終わり、ジャケットを着てバイクまで行く。城は黒いジーンズにTシャツ、やはり長袖のジャケットを着ている。何を着てもさまになるバランスの取れたスタイルだが、重いバイクを乗り回す筋力も充分ついている。
 体力に自信のない雅也では、この400ccのバイクを起こすこともできないだろう。
「行けるか?」
「あ・・うん」
 城の後ろに乗る。
 少し車が増えてきた道を二人のバイクは走り出した。





「うわ〜〜〜っ!広い!」
 二回の小休止を入れただけで国道をひたすら東へ進むこと約4時間。国道を脇にそれ、岬に着いた。
 目の前は海。ひたすら海だ。
 ヘルメットを取るなり雅也は海岸に降りていった。学校では絶対に見せないそのはしゃいだ様子に、城は笑いながらバイクを置き雅也の後に続いた。
「なあ城、どこだ、ここ」
「そこにでっかく書いてあるぜ」
 城の指さす方を見ると、海岸に丸太が立っており、確かに大きく文字が書いてある。
「御・・前崎って、静岡の?」
「・・各務、あんた自分のいる場所わかってるか?」
「・・・大体」 
 伊豆に行くことになったのはいいが、雅也は日程も宿もすべて城に任せていた。行きたい所を決めるようにと渡されたガイドブックを少し見たくらいだ。
「ちょっと待ってろ」
 言うと、城はバイクまで戻り、地図を手にして戻ってきた。雅也が覗き込む。
「この道をずっと来て、今ここだ。ここからさらに東へ向かって・・・今日の宿はここの予定」
 城が指で示したのは、半島の根本にあたる所だった。
「あと1/3残ってるのか」
 目的地までまだ道のりは遠い。
「疲れたか?」
「・・いや。大丈夫」
 本当は慣れないツーリングで、足腰に結構きていたのだが、後ろに乗せてもらっている自分が弱音を吐くわけにはいかない。
「疲れたら言えよ。休憩するから」
「城こそ疲れたり眠くなったりしたら早く言えな。俺、運転代われないんだから」
「・・・あんたに抱きつかれてちゃ眠れん」
「ん、何?」
「いや、何でもない。・・・行くか」
 城が戻ろうとしたとき、急に雅也に腕を引っ張られた。
「ちょっと待って。写真撮ろう」
「え・・」
 いつの間にか手にしていたポケットカメラを見せ、雅也は驚く城を残して近くにいた中年の男性にシャッターを頼んだ。
「何だ、嫌なのかよ」
 まだ驚いた顔で立つ城を睨み付ける。
「・・まさか。ただちょっとびっくりして・・感動しただけ」
「は?感動?」
「撮るよー」
 雅也が意味を聞こうとしたとき、カメラを渡した男性が声をかけてきた。
「あ、お願いします!」
 と言うと、城は雅也の首を後ろから両腕で抱いた。
 雅也が固まった瞬間にシャッターがおりる。
「ありがとうございました」
 雅也をその場に残し、城がカメラを受け取りに行く。
「バイクかい?気をつけて」
 にこにことその男性は去っていった。
 そのころになってやっと我に返った雅也が、城に駆け寄ってきた。
「城!」
「何だ?」
「お前いきなり・・驚くだろ!」
「そうか?」
 顔を赤くして怒っている雅也の手を引っ張り、バイクの方に連れていく。
「ちょ・・人が見てる」
「どうせ知らない奴らだ。それにこれくらいじゃこっちが思ってるほどあっちは気にしてないぜ、今のカメラのおっさんみたいにな」
「そうだけど・・」
「ま、俺も少し舞い上がってたから・・驚かせて悪かった」
 少し考え込んでいる雅也の背中を軽く叩いて、城が言った。
「ついでだから灯台に上ってみようぜ。高いところは平気か?」
「あ・・うん」
 道路をわたり、二人は細い道を上って灯台に着いた。
 見学料を払い、灯台の中の急な螺旋階段を上っていく。
 上りきって外に出ると、真っ青な水平線が見渡せた。
「・・・」
 風が全身を包む。目の前は広い海。
 隣りに立つ城も何も言わずに海を見ている。
 こんなにゆっくり海を見ているなんて初めてだ。
「・・そう言えば城、さっき写真撮った時、何に感動したんだ?」
「・・あんたがカメラ持ってたこと」
「・・?」
 城は手すりに肘をついて雅也を見た。
「俺、今回無理矢理あんたを連れてきちまったみたいなところあるから、実は各務は来たくなかったんじゃねぇかって少し心配してた」
「俺が・・?」
「ああ。でもカメラ持ってるってことは、記録を残しておきたいほどには楽しみにしてるってことだろ?だから単純に嬉しかった」
 城が再び海の方を眺めた。
「俺、絶対あんたを遠くに連れ出したかったから」
 城の強い言葉が気になる。
「どうして?」
 どこかに行く・・だけなら、わざわざ城の負担の重いこんな長距離のツーリングにしなくても、もっと近くでもいいはずだ。
「各務・・あんた前に旅行にほとんど行ったことがないって言ってたろ。だからこういう気分転換をもしかして知らないんじゃねぇかと思って」
「気分転換・・?」
「そう。委員長とか実行委員長とか校内のT大合格最有力者とかってさ、あんたならストレスに感じないかもしれないけど・・・最近学校でのあんたはやっぱり疲れた顔してるぜ。いつもにもまして表情も硬いし」
「そう・・かな・・」
 自分で疲れたと思ったことはないつもりだったが、少し自分に余裕がなくなってきているのは感じていた。相変わらず城と教室で話すことはあまりなかったのに、そんなことまで見られていたのだと思うと少し情けなくなってくる。
 と、城の手が雅也の髪をかき回した。
「何落ち込んでんだよ」
「いや、そんなこと気づかれてたなんて・・」
「・・・あのな。俺あんたの恋人になったつもりなんだけど・・」
 城がためいきをつく。
「とにかく。こんな遠くまで来たら、まわりはあんたを知らない奴ばかりだ。肩肘張らずに自然体でいりゃいいんだぜ」
 自然体・・・といってもどれが自分の『自然』なのかよくわからない・・。
 そこで思わず笑ってしまう。
 そうやって『どれが』と考えることがもう自然じゃないのに・・。
「とりあえず」
 そう言うと、城は雅也の眼鏡をひょいっと取り上げた。
「伊達なんだろ?取っちまえって」
 強引な城になかば呆れながらも、雅也は苦笑して渡された眼鏡をポケットに引っかけた。
「行きたいところは遠慮なく言えよ。それが一番の目的なんだから」
「わかった」
 なんだか少し肩が軽くなったのは、単に眼鏡を外したせいだけだろうか・・・
「・・何だ?」
 自分をじっと見ている雅也に、城が聞く。
「そんなこと考えて連れてきてくれてたのか・・と思って」
「惚れ直すだろ」
「・・・自分で言わなけりゃね」
 くすくすと笑った雅也を横目で見ると、城が口を開いた。
「・・・俺には3日間あんたを独占することも大きな目的なんだけどな」
「独占?」
 城は見上げる雅也に顔を寄せ、つぶやいた。
「そう。それに俺は聖人君子じゃねぇから、下心もあるぜ」
 一瞬・・かすめるようなキスをすると、城がにやっと笑った。
「おまえ・・!こんなとこで・・」
「誰もいねぇって」
 あわてて回りを見るが、確かに誰もいない。
「・・ま、時間無くてツーリング仲間に聞いた宿にしちまったから、そんなムードになるかどうかは怪しいけどな」
「・・・ばかやろ」
 笑う城の背中を一つ叩くと、雅也は螺旋階段を下り始めた。





「いらっしゃい」
「お世話になります」
 中伊豆の温泉町に着いたのは夕方だった。
 その町の小さな宿では主人と女将だという人の良さそうな老夫婦が二人を出迎えてくれた。
 城が宿帳を書いている間、雅也は珍しげに辺りを見回していた。
 古い造りの木造建築だが、手入れが行き届いているし、何よりほっとする暖かさがある。
 ふと端に目をやると、畳敷きの空間の真ん中に囲炉裏が見えた。雅也は何となく近づいてみた。
 夏のこの時期はもちろん何もかかっていない。
「今時珍しいでしょう?しかもこんな雪もめったに降らない所に囲炉裏なんて」
 振り向くと、先ほどの女将さんが立っていた。
「主人の道楽なんですよ。冬にはここで炉端焼きもするんですけどね。今日はお客さん少ないから夕飯は食堂でなくこちらでもいいですかねぇ」
「あ、はい」
 にっこりと笑って話す女将に思わずつられて笑って返事をしてしまう。
「おや、お連れの方のご用意ができたみたいですね、お部屋にご案内しましょうか」
 先に立って歩きだす女将の後を、二人はついていった。
 
 
「思ったよりいい宿だな」
 女将がいなくなると、雅也は荷物を置いて部屋を見回した。冷房も入ったこぎれいな8畳間である。
 窓からは小さいが手入れの行き届いた庭が見える。
「ああ。あいつ、まともなところを紹介してくれたらしい」
「あいつって誰?」
「同じバンドのバイク乗ってる奴。暇な大学生でしょっちゅうツーリングに行ってるから、いろいろ詳しいって自分で言ってた」
「・・ふ〜ん」
 雅也が窓を開けると、ゆるやかな風が髪を揺らした。
 城がすぐ横に立った気配がした。
「ずっとバイクに乗っててきつかっただろ」
「・・少しね。城こそ大丈夫か」
「俺は慣れてるから平気。夕飯までに時間あるから近くのコンビニに行ってくる」
「あ、じゃあ俺も」
 振り向いた時、ふらりと雅也の視界が揺れた。
 城がすぐに支えて窓際の小さな椅子に雅也を座らせる。
 立ちくらみだとその時自分でやっと気がついた。
「あんたは休んでな。何がいるんだ?買ってくる」
「じゃあ・・ウーロン茶を」
「OK」
 部屋を出ていく城の背中を座ったまま見送って、雅也は畳の上に座り直した。
 窓枠にもたれて外を見ると、空が茜色に染まっていく所だった。刻々と表情を変える夕焼け雲を、雅也はぼんやりとみつめていた。
 見知らぬ土地に来ている・・・わずかな緊張感と心地よい開放感、そして時間の流れが違うようなゆったりとした感覚。
 旅行っていいもんだな・・・
 ふと考えてから思わず苦笑する。
 この歳になって初めて思うことじゃないよな・・。
 多少強引だったが、連れてきてくれた城に感謝してもいいかもしれない。
「どうしたんだ?ぼーっとして」
 いつのまにかドアの所に城が帰ってきていた。買ってきた荷物を置いて窓際の雅也の所まで来ると、隣りに座りこんだ。
「いや、夕焼けが綺麗だなと思って見てた」
「ああ・・俺もコンビニ行く途中に思ってた」
「で、連れてきてくれた城に感謝しなきゃなと」
 雅也が笑う。城がまぶしそうに目を細め笑った。
「ホントに?俺下心つきでもいいか?」
「・・やっぱり少し考える」
 目を合わせて笑うと、城が雅也の肩を抱き寄せた。
「とりあえず、今すぐあんたにキスしたいんだけど」
「・・・」
 雅也は返事の代わりに目を閉じた。



 

「ふ〜〜〜・・」
 部屋に帰って来るなり、城は部屋の隅に積んであった布団にもたれて座りこんだ。
 後から入ってきた雅也がクスッと笑う。濡れたタオルを渡すと、受け取った城はそのまま顔にのせた。
「だいぶ飲まされたね、城」
「こっちは未成年だって言ってるのに、あの親父どんどん注ぐんだもんな。犯罪だぜ」
「それを片っ端から空けたお前も相当なもんだよ・・」
 夕食時。囲炉裏を囲んだのは雅也と城のほかに年輩の夫婦が一組に中年の男性が一人だった。
 この男性がとんでもない人で、隣りにいた城とご夫婦の旦那さんを巻き込んで3人で酒盛りを始めてしまったのであった。
 アルコールのだめな雅也は、残された奥さんと一緒になかば呆れながら見ていたのである。
「二日酔いになっても知らないぞ」
「このくらい平気」
「・・・あ、そう」
 自分の恋人はうわばみだったらしい。
 座りこんだままの城は、手元にあったコンビニの袋から1.5リットルのお茶のペットボトルを取り出すと、半分近く一気に飲んでしまった。
「・・俺、少し醒ましてから風呂入るから、各務、先に入ってきてくれないか」
「え・・ああ、わかった」
 再びタオルを顔からかぶってしまった城を心配げに見ながら、雅也は風呂の用意をして部屋から出ていった。
 スリッパの音が遠ざかるのを聞きながら、城は顔からタオルを取り畳に寝転がった。
 この状態で一緒に風呂なんか入ったら・・やっぱまずい気がする。
『ケダモノになりそうでシャレにならん』
 いくら下心ありと言ってもそんなふうにあいつを抱いたら一生後悔しそうだ。
 目を閉じてため息をつく。
 今までにも何人かの女性とつき合った。向こうからつき合ってほしいと言ってくることがほとんどだったが、OKしたからには自分も相手のことを好きだったと思うし、大切にもしていたつもりだ。
 でも何かが違った。
 深い関係になった女性もいたが、そんな時もどこか冷めた自分がいた。
 彼女達は別れるとき大抵同じような台詞を言った。
『私のことを本当に好きなの?』
 恋愛なんてこんなものだと思っていた。
 でも今なら彼女達が離れていった理由がわかる。
 自分は彼女達を欲していなかった。自分で気づいていなかったそのことを、彼女達は感じていたのだ。
 そう、今ならわかる。
 相手のすべてを包み込んで大切にしたい強い庇護欲の一方で、その全てを自分のものにしたい激しい独占欲・・・ こんな想いを知った今なら。
『大切にしたいと思ってんのに、酒の勢いで襲っちまったなんていったらばかだぜ・・』
「何がばかなんだ?」
「・・・ぅわぁ!」
 驚いて目を開けると、目の前に雅也の顔があった。
「脅かすなよ」
「・・・お前だって朝、俺に急に声を掛けたじゃないか。おあいこだ」
「・・はいはい。・・じゃ、俺も風呂行ってくる」
 起きあがると、城はカバンを開けて風呂の用意をして立ち上がった。座った雅也がその様子を見ている。
 目が合うと、城が雅也をじ〜っと見つめた。
「・・何だ?」
「いや、浴衣姿もなかなか色っぽいな」
「ばかなこと言ってないで早く行ってこい!」
「あ、明日行きたい所、考えとけよ」
 赤くなって怒る雅也に向かって言うと、笑いながら城は出ていった。
「まったく冗談ばっかり・・・」
 まさか本気で言っているとは露ほども思わずに、とりあえず怒りをおさめてカバンからガイドブックを取り出すと、雅也は積んである布団の陰に座った。
 ガイドブックをパラパラとめくる。
 どこに行きたいと言われても困る。本にはいろんな場所が書いてありすぎて、どこがいいのかわからない。
 本を眺めながらあくびを一つ。
 行きたいところか・・・
 どこでもいいんだけど・・・
 どうやら自分は城と一緒ならどこでも楽しいらしい。
 布団に寄りかかってみる。身体が沈み込み、ふわふわとした感触で気持ちがいい。
 お風呂は温泉で、出てきたあとも身体がぽかぽかしていて・・・
 行き先は城が戻ってきたら一緒に考えれば・・いいか・・・



「・・・各務・・?」
 城が風呂から戻ってみると、布団にもたれて雅也が眠っていた。
「・・・おい、こんな所で寝るなって」
 肩を揺すってみたがまったく起きない。熟睡中。
 仕方なく、壁にもたれさせて布団を敷いてしまう。
 抱き上げて布団の上に降ろしても雅也はまったく起きる気配がなかった。
 大丈夫と強がっていたが、初めてのツーリングで疲れないわけがない。
 枕元に座りこんで寝顔を眺めてみる。
 いつもはあまり表情を出さない雅也が、今日は声をたてて笑っていた。その生き生きした表情を映していた瞳は今は静かに閉じられている。
 穏やかな寝息が城の耳に届く。
「・・まったく・・おもっきり安心した顔で熟睡しやがって・・」
 少し湿り気を帯びた柔らかな髪に触れると、雅也がわずかに身じろぎをした。しかしすぐに深い眠りに落ちてしまう。
「・・襲っちまうぞー・・って聞いてんのかオイ・・」
 頬杖をついてつぶやく城の目元は笑っていた。




    to be continued...


 
 

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