「明日、夜出られねぇか?」
 そう日向から連絡があったのは、昨夜かなり遅い時間であった。
 東京へ出てきてからもこんなTELが日向から入ることは今までになく、戸惑いは隠すことができなかったが。わずかな沈黙の後、松山はOKとの返事を返した……。
 
      *    *

『そういや、デートってもんはしたこたねぇな』
 懲りもせずに松山の下宿に東邦の三人組が集まってきていたある日のこと。7月も終盤のこの暑い盛りに、松山にとってはますます頭に血が昇るような発言を日向がしてくれた。
『お前等ねぇ・・・』
 口を挟もうとはするが、そんな松山を尻目に話を勝手に盛り上げている。
 だいたいからして反町が悪いのだ。なーにが ”日向さんと松山、デートもしたことないのっ?” だっっ。
 いらんことを言わんでくれと心の底から松山は思った。
 後の話はなし崩し。
 本人の意向はまったく度外視されたまま、ご丁寧に地図の手配まで手を回され、オフ日のドライブ計画が出来上がっていたのである。が・・・。

 肝心の当日。この計画は日向の遅刻で中止となった。
 さして長い時間でもなかったのであるが、もとより気のそう長くない松山、それも知らず浮かれていることを自覚した時からそれを納得したくなくてイライラしていたのである。待ち合わせ場所で(これも ”待ち合わせた方が絶対、デートらしい” と反町が主張した賜物であった)時間の経過と共にそれを募らせ、相手が相手なだけに後先を考えず、そのまま下宿へ帰ってしまったのである。

 そんなことがあってからは話らしい話もしていない。
 日向のこのTELはお互いの日常に戻って2週間した頃の出来事であった。

 その夜は松山の下宿に日向が乗りつけた。
 時間通り。
 この日は部屋で待っている約束であったが、タイミングを見計らって下りてきたのであろう、ちょうどその時松山が玄関口に出てくるのが見えた。
 その姿を認め、車をゆっくりその前に回す。
「じゃまするぜ」
 ドアを開け、中へと促すとそう言って松山が助手席に身を落ち着ける。
「で。何処へ行くんだ?」
「何処へ行く?」
「お前ねぇ・・・」
 呆れた声で松山は言った。明確にどうとは思っていなかったが、こんな言い方はないではないか。声をかけたのは日向なのだ。
「何処へ行きたい?」
 今度は言葉を替えて日向が尋ねてきた。
 松山はまた勢い何か言おうとしたが、思い直したのか乗り出しかけていた身体を座席に戻し、ひとつ息を吐いた。
「どこでもいいんだな」
 少し視線を落として呟くように言う。
「海、行きたい。なるべく人のいないとこ」
「わかった」
 その言葉を聞き、日向はギアに手をかけた。

 それからしばらくは二人とも無言であったが、車が郊外へ抜けた頃、ふと日向か口を開く。
「怒ってんのか」
 この言葉が先日の一件であることは、松山もすぐに気づいた。
 確かにあのときは頭にきていたが、今はまったくそんな風には思っていない。最初、多少の気まずさもなくはなかったが、そんなものもたいした問題では、ない。冷静になってみれば一方的にすべてを相手にひっかぶせて自分だけが怒っていたと、反省もしているのだ。
「別に怒ってなんかねぇよ」
「そう見えるが」
「んなガキじゃねぇだろ、お互い」
 そう言葉を落とし、松山はしばらく窓の外の流れる風景を見ていたが、シートに深くもたれ直し、
「いやな、おかしなもんだと思って。こんなのも」
「何がだ」
「いや、居つけんもんで落ち着かん」
 静かに笑って運転席を見る。
 それに対して日向は、ふん、と口をゆがめ、黙って運転を続けていた。

 実際の所、こんな風に外に出たことは今まで一度もなかった。今年の春、北海道から出てきて約4か月、時間に追われ当初は連絡さえろくに取っていなかったのである。ふとしたことをきっかけに、松山の下宿で度々会うようになってはいたものの、2人だけで、ましてや外出などは全くなかったのである。

 ―――――― でも、悪かねぇよな・・・
 声には出さなかったが、松山はそう思ってもう一度運転席の日向の横顔を見ていた。

 そうしているうちに、程なくついた場所は比較的広い砂浜のある海辺であった。夜遅いせいもあって人影も見えない。
 車を降り、そこに立つと潮の匂いを身体中で感じる。
「俺の知ってる範囲で希望にかないそうなのは、ここくらいだと思う」
「・・・上等」
 海の方へと向いたまま松山は答え、ゆっくりと波の方へと歩いて行く。
 日向はその後姿を黙って見ていた。

 その存在が自分の中でも大きなものになって、もう久しい。
 いつでも生のままで、彼らしく。そのあり方がうらやましく思えることも少なくない。やっと、その存在が手の届く所に来ている今でも。
『負けねぇからな、お前には』
 2人の関係が微妙に形を変えた今も、松山はそうよく口にする。それが嬉しくもあるが、苦笑いをするしかないではないか。
 多分自分の身勝手なのだと思いながらも望んでいるのは、少しでも近くにその存在を置くこと。しかし、松山は東京へは出てきたものの、結局東邦への誘いは断って、敵という形も明確にしているのだ。
 もとより、そんな自分の望みを間違っているとも、日向には解っていたのだが・・・。

 松山は風に吹かれてただ立っている。
 そこで彼が目にしている風景はどんな風景なのだろうか・・・。その姿をしばらく見ていた日向であるが、静かに松山の方へと歩みを進めて行き、その後姿に声をかけた。
「どうだ?」
「ん? 気持ちいいせ。サンキュ」
 穏やかな声に、満足気な返事が返る。
 風に遊んでいた髪を左手でかき上げて、軽く笑って松山は振り返った。
 そんな表情を久しぶりに見た気がして、何故だか日向も満足した気になる。
「これでやっとそれらしいデートができたな」
 そして吐き出された日向の言葉に少し吹き出すように松山は笑い、
「バカ言ってんじゃねぇよ」
 そう言って、しっかり相手の鼻先に指を突きつけてやった。
 こんな言葉が出るということは、まだ多少なりとも先日のことを気にしているのであろう。それが松山には、少し可笑しかった。
 日向は一瞬ひるんだ様に首を引いたが、ひとつ、肩でため息をついて松山のその手を下げさせる。
「バカはねぇだろうが、バカは。せっかくだなぁ・・・。だいたいお前、俺のこと何と・・・」
「日向小次郎」
 間髪入れずに答えてやる。
 あまりにあまりな答え方に、今度は全身で脱力してしまう日向の姿があった。話の勢いで出た言葉とはいえ、こう答えられると身も蓋もないではないか。

「まぁいいさ、行こうぜ」
 やおら方向を変え、日向は車の方へ歩いて行く。
 松山はしばらくその背を見ていたが、すぐにかけ足で追いかけて行った。
「ずっと、見ていたい奴だと思う」
「? 何か、言ったか?」
「いや」
 そして呟いた言葉は、横にいる日向にも聞こえなかったようだ。
 先程のことは少しばかり悪いことをしたとも思うが、こんなことは正面きってはなかなか言えない。言葉に、簡単にできる想いでもなかった。が・・・。
 ―― 大事な奴だよ。俺には、かなり。だから・・・
 ―― 見てくよ、お前を。横を走りながら、な。
 隣を歩く存在の大きさを確かめながら、松山は繰り返し思っていた。
 松山にとっても同じなのだ。相手の、その存在というのは・・・

 そして二人、車に戻り、松山も座席に落ち着いたのだが、運転席の日向はエンジンもかけずにハンドルに両手をかけて、ハンドルに両手をかけて軽くもたれかかったまましばらく何か考えている様子だった。
「今度は俺が運転するか?」
 疲れているのかとも思い、松山は声をかける。しかし、日向は、かまわねぇよ、とそれだけしか言わない。
「どうした?」
 気になり運転席をのぞき込むようにして松山がそう聞くと、ようやく日向は口を開いた。
 松山はその一言一言、出てくる言葉を驚きと共に黙って聞いていた。それは、彼にはひどく意外な言葉に思えたのだ。
「俺は、賭けてたのかもしれん。馬鹿みたいだとお前は思うかもしれねぇがな」
「そう、今日お前がつかまるかどうか」
「ここんとこ特に、とんでもねぇ程お前がつかまらんと周りの連中がこぼしてる。だから今日会えねぇか、声をかけた」
「空けてくれてたんだろ」
「俺の誕生日」
 ・・・・・。
「――――― うぬぼれんな」
 そう言葉にするが、松山は否定はしない。
 無遠慮に差し出されてきた腕も払わず・・・。
 しばらくの沈黙が車の中を包む。

「強引じゃねぇか」
「怒らなねぇのな」
「殴って欲しいなら、ご希望通りにしてやるが」
「いや、遠慮しとく」
 かすかに笑って日向は答える。そしてエンジンキーを手にかけてふと真顔に戻り、視線は正面に据えたままもう一度口を開いた。
「今日は帰らなくていいな」
「どっちにしろ今日中になんて帰れねぇだろ。こんな時間じゃ・・・」
「はぐらかすな」
「――― ・・明日はオフだよ」
 その後、二人に言葉はなかった・・・。

     * * *

「それでっ? デートはちゃんとしたの?」
 そうであった・・・。一番こだわっていた人間がまだここにいたではないか・・・。
「あのねぇ…」
 松山は再び頭を抱えることになった。
 日向に詰め寄り軽くかわされ、なおそれでも食い下がろうとする反町を、横では若島津が笑って見ている。
 いつもの平和な風景である(松山はきっとそうおもってはいないであろうが)。

 ふと、日向の姿を松山は視界に捉えた。
 何故こいつなんだろうと、思う。多分、別な出会いをしていたらきっとこんなに近くにはいなかった存在。今ても一番自分の中でやっかいな位置にいるにも関わらず、なくてはならないものになっている。
 自分をいやおうなしに前へと向けて行き、なお、前へ、前へと。
 そして・・・・。
「やっぱ、好きなんだよな。なんか、腹立つけど」
 ぼそりともらした一言を耳にして、あとの三人の視線が驚きの表情のまま松山に集まる。一瞬”やべっ”と思わず手で口元を隠した松山だったが、まだ固まったままの三人を認めるとその手をゆっくり解き、いたずらっぽい笑みを満面に浮かべた。
 ―――― たまには、こんなのも気分がいいもんだ。
 自分の失言から出た事態であることも忘れ、そんな気分に浸る。
 その後は突然嬉し気に奮起してしまった日向を中心に少々騒ぎを起こったが、この日ばかりは松山も余裕で状況を楽しんでいたのだった。

 気持ちというものは変えようと思って変えられるものではない。それならば・・・。

 きっとそれは皆がわかっていること。それをパワーとしてどう持っていくかだけが、その人の大きく変えていくのだろう。

 そしてその力は、それぞれの中に確かに備わっていて・・・。

                                Fin

           タイトル B# 『君の隣りに』
 B.G.M. OKAGESAMA BROTHERS 『ホ・ン・ト・ウ・ノ・キ・モ・チ』


SOLDIER BOYSさま & ためいき倶楽部 合同発行   
 『犬が西むきゃ 尾は東』より