スタジオに入る前に髪に触れていった耕平の手の感触がまだはっきりそこに残っている。
 優しく触れられた後、言葉もなく片腕に抱きこまれ、そのまま強く抱きしめられた。
 一瞬で離されたけれど、それは何故だかとても切なくなる様な抱擁で。猛は戸惑いを感じずにはいられなかった。
 そして、その扉の中に耕平の背中は消えていったのだ。

     *

 そして…流れてきた耕平の、声。

 イントロが流れ、それに耕平の歌声が重なり始めると、猛は動けなくなった。ガラスの向こうでマイクに向かう耕平の表情から、姿から、目が離せない。
 『からみつくこの腕 いっそ…』
 全ての言葉の中から伝わってくる耕平の切ない想い。
 『ただ 大事にしたいから…』
 普段あまり聴くことのないこんなトーンの声も、猛は確かに知っているものでもあったけれど。でも。

 その響きの中にだけでもその想いは嫌という程に伝わってくる。身体中に… そして胸のずっとずっと奥にまで…。
 大切にしてもらっているのは解っているつもりだった。でも、今その声が伝えてくるものは、もっと泣きたくなるほどに切なくて強い、そして決して今まで自分 には見せなかった耕平の苦しみ。どれだけ自分を大切にしてくれているかはっきり解ってしまう、たまらない想い。

 卓の前のスタッフと言葉を交わしている時も、耕平は猛を見ることはなかったのだけれど…。

 猛はその曲の歌入れが終わるまで同じ場所に佇んだまま、スタジオの耕平を見つめ続けていた…。

   *

「お疲れ様でした」の声と共に、スタジオ内の耕平も息をついた。周囲の緊張した空気が解け、スタッフの声が行き交い始める。

 ヘッドホンをはずし、スタジオの扉に向かう耕平を猛はずっと見ている。そして…その扉を開けて姿を現した耕平に、猛は無言で抱きついた。
「猛?」
 そのまま、たまらずに強く強く耕平にまわした腕に力をこめてしまう。

           耕平
 (どうして、こんなにこいつは…)

「耕平…」
 上手く言葉が出てこない。ただ、いっぱいにこの腕に力を込めるだけしかできなくて。耕平の体温をきつく抱きしめることしかできなくて。
もどかしくて…たまらなくて……。

「ごめんな」
 いつもの優しいトーンでそんな風に囁いてくれる耕平に、ますますたまらない気持ちになる。
(ちが、う…)
 謝るなんてしなくていい。謝ることじゃない。
 ただ首を振って、猛は応えるけれど…。
「たける…」
 声ごと、優しさと想いが身体中にしみ通ってくる。
 愛してもらっていることを、またこんなにも感じさせられる。

 好き……。

 今までも何度も何度も、数え切れないくらいに感じたこの言葉。今の自分には少し、辛いくらいのものだったけれど。
 でも、今それがもっともっと大切に感じられる様になる。

       きもち
 一番大切な言葉。
          
きもち
 一番伝わって欲しい言葉…、
 そして…。
                      
きもち
 いつもいつも欲しい時に伝えてもらっている、言葉。

 いつの間にか耕平の腕も猛の身体に回り、その手は優しく、ゆっくりと肩をたたいてくれている。
 入れ過ぎていた腕の力を少しだけ緩め、それでもその腕ははずさずに、猛はその胸の中に顔をうずめていた。

「ごめ、んな…。・・・だよ…」
「ん?」

 聞き取れなかったのか、耕平は手の動きを一瞬止めて首を傾けてきたが、
「なんでもないよっ。も少しこのまま…」
 消え入るように言ったその猛の声は聞き取れたようで、耕平はくすっ、とひとつ笑うとまた優しい手の動きを再開してくれる。

 しばらくの間、スタジオの隅で二人はそのまま佇んでいた…。
 お互いのぬくもりをすぐ近くに置いたままに・・・。

                                〜 Fin 〜

Title/B.G.M. 『amore』 by.KOHEI TODOROKI



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