「余計なことだったかもしれませんが、耕平くんには少しだけ、お伝えしておきますね」
そんな風に堤は会話を終わらせた。

   *

 緒方に誘われたスキー旅行先の温泉宿でのこと。あっという間に過ぎる時間の中で、明日には帰路につくという夜に耕平は廊下で堤に声をかけられた。食事の後猛を先に部屋に帰して、今、堤からのその話を聞き終えたところだった。

 ここの所猛の様子がおかしいのには当然耕平も気付いていた。そして、そのきっかけになった出来事も自分ではよく解っているつもりだったのだが、堤から聞かされた話で自分が猛の想いをまだ充分に解ってやれていなかったことに歯がみをしたくなる。
 そんな風に猛が考え、悩んでいたことにまで気付いてやれていななかったのだ。

「猛くんは本当にあなたのことが好きなんですね。あの子の答えには、どれも本当に迷いはありませんでしたよ」
 穏やかな笑みを添えて、堤はその時の猛の様子を耕平に聞かせる。その言葉に、堤自身から伝えられる別の大きな意味あいも感じとりながら、耕平は何も言えずにその言葉の重みを受けとめるだけだった。

 一連の出来事がおこるまで…本当に毎日の様に側にいたがった猛が、あれから自分と少し距離をおいていた。嫌でさけられている風ではないのは勿論解っていたのだが、自分も正直なところどう接してやっていいのか困惑するところがあったのだ。
 一緒にいる時も、どうしても意識されている空気は伝わっていた。けれど…。
 今は……自分が何もしてやらなかったことが、してやれなかったことがとても腹立たしく思える。

「これからも大切にしてあげて下さいね。余計なことばかりで申し訳ないのですが」
「いえ…とんでもない、です」
 堤にも耕平が猛のことを大切にしているのは勿論見ていても容易にしれたが、その言葉は口から自然に出てしまっている。
 あの時の猛の様子を、耕平がどれ程彼を想っているかが解るからこそ、本当は言葉でなく直接見せてやりたかった。そうすれば、こんな言葉ひとつで言われることはなくてもきっと彼には充分に解ることだろうし、そう思わずにはいられなくなるだろうから……。そして、何より耕平自身が悔やむ思いも少しは少なくなったのかもしれないと思えたから。

 耕平はといえば、かろうじて返事を返してはいたが、頭の中は様々な想いがめぐっているようだ。そんな耕平の姿を見て、堤は笑みを深めてしまう。
(それでも、きっと大丈夫ですね…)
 耕平の想いは本物だと充分に見ていて解る。そして猛くんを一番解ってあげているのは彼だから。と。
 安心して彼等を見守ることができる。きっとまたお互いの想いを深めて成長していくのを楽しみに見ていられる。

「じゃあ、僕はこれで失礼しますね」
「あ!ちょっと!!」
 そして伝えるべきことを伝え、立ち去ろうとする堤を慌てて耕平は呼び止めた。
「はい?」
「…あいつが…世話に、なりました」
「いいえ」
 ひとつ、優しい笑みを耕平にむけて。
「それと…ありがとうございます」
 耕平は頭を下げ、そのまま踵を返して自室の方へと急いで戻っていった。
 堤はそんな耕平の姿を最後まで見送った後、式部の待つ自分達の部屋へと足を向けた。

  *

 知らず速くなっていた足で部屋に戻り耕平が部屋のふすまを開けると、猛が部屋の隅で荷物の整理に悪戦苦闘している姿が目に入った。
「あ、おかえり耕平!」
 しかし耕平が帰って来たのを見つけると手を止め、嬉しそうな笑顔を向ける。その、自分の名を呼んでくれる声までもが嬉し気に聞こえるのは、自惚れなのだろうか?
 いつも以上にそんな思いが過ってしまう。

『猛くんはあなたのことが好きで好きで。どうしたらいいのか解らなくなっていたみたいですよ』
 先程の穏やかな堤の声が耕平の耳には蘇る。

「ただいま」
 自分はどんな顔をして、今猛にこの言葉を言っているのだろう。どんな風に猛には届いているのだろう…。
 今までにも増して猛のことが愛しい。大切に想えるこの気持ちは、いつもいつも自分でもどうしたらいいのかが解らなくなるばかりだ。

「えらく遅かったんだな」
「ああ、すまなかった…」
「別に謝らなくてもいいけど」
 猛は荷造りもそのままに、部屋を入った辺りで立ち竦んでいた耕平の側へ来て…そのまま胸に顔をうめてゆっくりとしがみついてきた。
「へへ…。なんか、久しぶり」
「ああ…、そうだな……」
 少しとまどった耕平も、あたたかい息と一緒に感じる嬉しそうな猛の言葉に、穏やかな言葉と優しい抱擁で返してやる。
「たける」
「ん?」
 そしてその名を呼ばれて顔をあげた猛に近付いていくと…それは癖なのか、猛も一瞬だけ驚いたように瞳を少しだけ見開いて……その後そっと瞳を閉じてくれた。
 思えば猛はいつも何も言わずそうして自分を受け止めていてくれたことを、耕平は今更ながらまた実感していた。

 しばらくの沈黙の後、口唇を離し目が合うと猛はテレ笑いを見せ、そのまままた耕平の胸に顔を隠してしまう。
「こーへーだ…」
 まだ嬉しそうな声音を残したまま、猛はそんな言葉を呟いている。

 北海道のあの日から、そう、それこそ昨日まで。猛は本当に悩んでくれていたのだろう。…自分のことを想って。
 それまでの間、時間を長くとっては二人きりで逢う事もほとんどなかった様に思う。しばらくはテレもあって仕様がないのかと思っているだけだった自分が本当に申し訳なかった。

 しがみついた腕もそのままに顔をうめたまま猛は動かない。時折、甘えるように頭を自分に預けてくるだけだ。
 愛しさのままにその髪を梳いていた耕平だったが、そんな猛があまりに可愛くて。しばらく間をおいてから、そこに力が入らないくらいのキスをひとつ落とし、耕平は一言言ってみた。
「…今日は一緒に寝るか?」
 落とした言葉は、半分はいたずら心も手伝って思わず出たものだったのだが…。
「…ぅ、ん…」
 言葉としてのそれにはなっていなかったが、猛からの返事ははっきりと縦に動いた首の動きだった。目の前にある耳や首がくっきりと赤い。勿論、意味を汲み取った上で応えてくれているのだろう。
「たけ、る?」
 自分から言っておきながらその展開に驚きつつ、耕平はそれでもよりいっそうの嬉しさと愛しさを噛み締める。
 今回のことがあったのだ。猛の気持ちに無理だけはかからない様、少しずつまた進んでいけばいいと思ったところだったのに。その猛自身はまたひとつ、すでに気持ちを成長させている。
 多分、こんなことも自分は絶対に猛にはかなわないと思う所のひとつなのだ。

 そして一度。少しだけ身体を離そうとした耕平だが、そこで慌てたようにまた猛がそこにしがみついてきた。
 そして額を肩口につけて俯いたままに
「たっ、ただしっ、朝まで腕枕して寝ろよっ」
どう考えてもテレ隠しの色を含ませた声がそう言う。
 腕の中の猛の、仕種も声も。すべてが耕平にはかわいくてならない。こぼれてしまう笑みも、もう止めようがなかった。
「喜んで…」
 そう答える自分の声に、少し笑いが含まれてしまうのは否めない。
 "バカヤロ…"とかすかな声と軽くひとつ、背中を叩かれた感触にも幸せな気持ちしか感じない。
 それでも、この気持ちは猛に通じただろうか。
 自分の中ても同じように育つ気持ちは感じてくれるだろうか。

「たける…」
 耳元でそっと…囁いた言葉にますます力を込めてしがみついてくる腕に。
 耕平はその返事を伝えてもらえた気がしていた…。

                   
                               〜 Fin 〜

Title/B.G.M. 『Closer』 by.JA○GO