夏の憂鬱 (Double Pandora 番外編1)

佐伯 けい

 土曜日の四時間目は選択科目の社会科だった。
 来週からは3日間の球技大会、終われば夏休みになだれこむという、一学期最後を締めくくる授業。
 その授業前の休み時間。この3年1組の教室は・・・暑さと休み前で、はっきり言ってだらだら状態だった。休みだなんだと言っていられない受験生のはずなのに、やっぱり暑いものは暑いし休み前にだらけてしまうのは人情。次は教室移動なのに、みんな机とお友達しているか、おしゃべりに夢中になっている。
 雅也は大きくためいきをついた。
 自分だって動きたくはないが、そうもいかない。委員長の悲しい性。
「おい、日本史選択のやつ、次は視聴覚室だからな」
 教室の前で大声で叫ぶ。が、立ち上がったのは数名のみ。もちろん該当者はこんなに少なくはない。
 もう一度大きくためいきをつく。
「・・・ベルが鳴ってから最後に視聴覚室に来たやつに、プロジェクターの片づけと掃除を手伝ってもらうから、そのつもりで来いよ」
 さっきより明らかに小さめの声で言ったのに、今度は教室の半分ががたがたと椅子を鳴らして立ち上がった。
 やはり皆さん、せっかくの週末にそんな無駄な時間は費やしたくないらしい。
現金なものである。
 教室のある旧校舎1階から視聴覚室のある新校舎3階まで、時間にして3分。雅也が 視聴覚室の空いている席についた時、4時間目の始業ベルが鳴った。2組の日本史選択者が一緒になって、ほとんどの席が埋まっている。
 どうやら片づけはいつものように自分一人でやることになるらしい。
 雅也がわずかに苦笑したとき、ふいに後ろのドアが開いた。
 一人の姿が現れると、生徒の一部からげらげらと笑い声があがった。
「城〜!何やってんの、お前残って片づけだからなぁ〜!」
「うるせぇな、わかってる!」
 言いながら空いていた雅也の斜め後ろの席に座る。
『・・何やってんだ・・あいつ』
 思わず城を見てしまった雅也と、顔をあげた城の視線がぶつかる。その時。
『・・あ・・』
 一瞬だったが、確かに・・・城は雅也に向かって笑った。
 あいつ・・わざとだ・・!
「何考えてんだ・・」
 つぶやくのと同時に日本史の教師が入ってくる。
 号令をかけながらも、雅也は何となく落ち着かなかった。


「で、これをどこに片づけるんだ?」
「隣りの視聴覚準備室。ついでにこの資料の束もね」
 授業が終わって、城は約束通り残っていた。他の連中はさっさと帰ってしまい、教室には誰もいない。教師もいつものように雅也にまかせて職員室に戻ってしまった。
 机の上には授業で使ったプロジェクターと地図や図表の山がある。
 城はそのプロジェクターをひょいっと持ち上げた。
「・・・結構重いぞ、これ。今まで一人で片づけてたのか?」
「・・まぁね」
 確かに重いんだけど・・・俺が持つとよろけるのにお前は平気そうじゃないか・・。 何となくすっきりしないものを感じながら、雅也は資料の束をかかえて視聴覚室の後ろにある準備室に歩いていった。
 教師から借りた鍵でドアをあけ、真っ暗な部屋の入口を手で探って電気のスイッチをいれた。窓のない準備室は空気がこもっていて暑いことこの上ない。 
「どこに置くんだ?」
「そこの机の上」
 後ろで城がプロジェクターを置く気配がする。雅也も手にした資料を手早くそれぞれの戸棚に戻した。立っているだけで汗が噴き出してくる。後ろを見ると城はさっさと準備室から退散していた。
「あっつ〜〜〜」
 作業を終えて雅也が準備室から飛び出す。
「各務、こっち」
 見ると、教室の窓に城が座っていた。側に行くと心地よい風が頬に当たる。
 窓からはグランドが見え、野球部とサッカー部の連中が準備体操をしている。
「・・城、おまえさっき、わざと遅れてきただろ」
 雅也がグランドを見ながら口を開く。同じくグランドを見ていた城は、視線を隣りの雅也に移してにやっと笑った。
「そりゃ、こんなチャンスめったにないから」
「?」
 意味がわからず城を見た雅也の腕をとり、自分の方へ引っ張って胸に抱き込むと、城はそのまま窓の陰に座りこんだ。
「学校であんたと二人になったのって、初めてだな」
 耳元で城がささやく。雅也は自分の頬が真っ赤になるのを感じた。
 つきあい始めて1ヶ月以上たつが、二人きりで会えた試しがない。原因は夏休み明けすぐにある文化祭の実行委員長に雅也が選ばれてしまい、下準備だの会議だのと休日返上で働いていた為であった。時々学校帰りにバイクで送ってもらうのが唯一の逢瀬という状態の二人である。・・・城が煮詰まってもいたしかたないかもしれない。
「ば・・馬鹿、誰か来たら・・!」
「入口は鍵かけてある」
 言いながら雅也の眼鏡を取り上げ、頬に唇を寄せる。
「お前、いつのまに・・」
 そしてまだ何か言いたそうな雅也の唇を強引に塞いだ。
 初めは城の背中を叩いていた雅也の手が、次第にゆっくりになり、やがて力無く城のシャツを掴んだ。
「ホントは毎日でもあんたにキスしたいんだけど・・」
「あ・・・」
 つぶやく城の唇が雅也の首筋を這う。夢うつつ状態でネクタイを取られ、シャツのボタンを3つ外されたところで雅也は我に返った。
「・・じ、城!ち、ちょっと待て!!」
「何で」
「なんでって・・こんな所で・・・・・・あ・・やめろってば!」
 両腕をつっぱって必死の抵抗を試みるが、さっきのキスが効いていて力が入らない。大きな手で軽々と両手を封じられると、そのまま床に押し倒された。
「ちょ・・どうして」
「・・煮詰まってんの、俺」
 あせる雅也の胸に顔を埋めたまま城がつぶやいた。
「せっかく相思相愛になったのに、あんたは忙しすぎて俺の方を見もしない」
「それは・・」
「仕方ないんだろ、わかってる・・・でも忘れるなよ。俺はいつでもあんたを独占したいんだ・・・」
 いつのまにか雅也の両手を拘束していた手が離れ、背中に回っている。雅也の胸に耳をつけ、城は目を閉じていた。
 雅也の鼓動が少しずつ落ち着いてくる。その間、城はぴくりとも動かなかった。
 ごめんな・・・城。
 雅也は腕をあげると、城の髪をゆっくりと撫でた。
「ごめん・・夏休みに入ったらなるべく時間作るから・・」
「3、4日空かないか?」
「ん・・7月中なら・・・え?」
「決まり。7月中ね。空けとけよ」
「は・・?」
 城が起きあがった。顔がしっかり笑っている。
「ツーリング行こうぜ。2〜3泊くらいで」
 手を引っ張って起こされる。その間、雅也はぽかんとして城を見ていた。
「・・・お前・・今までのって・・もしかして演技?」
「いや、充分本気」
 そう言う城の顔はやはり笑っていて・・・雅也の顔が徐々にむっとしたものに変わっていく。
「・・俺、委員会の仕事があるからもう行くからなっ!」
 大股で行こうとする雅也に城が声をかける。
「各務、忘れ物」
 城の手には雅也の眼鏡があった。雅也は睨みながらつかつかと戻ってきて眼鏡を取り返すと、雅也らしくない乱暴さでドアを閉めて行ってしまった。・・・ただ、その間中顔が真っ赤であったため、今ひとつ迫力には欠けていたが・・・。
 くっくっと笑って見送った城は、ふと床に落ちている雅也のネクタイに気づいた。「しまった・・忘れてた」
 手にすると、さっきのことが頭によみがえる。
「演技のわけ・・ないだろーが・・」
 抱きしめてキスをして・・・腕に抱いた雅也から思わずこぼれた声を耳にしたとき、もう少しで理性が吹っ飛ぶところだった。
 まさか自分にあんな衝動があるとは思わなかった。淡泊な方と思っていたが、どうも相手によるらしい。思わず苦笑がもれる。
「さてと・・帰って計画たてるかな・・」
 窓を閉めて出ようとしたとき、廊下を近づいてくる足音が聞こえた。
 まさに城が開けようとしていたドアが、ガラリと開く。
「各務・・?」
 驚いている城の胸を押して、雅也は後ろ手にドアを閉めた。
 怒ったような表情で城を見上げると、あっという間に右手で城のネクタイを掴み、思いきり手前に引っ張った。
「!」
 城が何か言う暇もなく唇が合わさる・・・・ぶつかると言った方が正しいかもしれないが。
「・・・言っとくけどな、俺だってずっと煮詰まってたんだからな。お前だけだと思ったら大間違いだ」
 雅也は言うだけ言うと、呆然としている城のネクタイからパッと手を離し、城が手にしていた自分のネクタイに気づいて奪い返すと、くるりと背中を向けた。
 ドアを開けたところで再び城を振り返り、ポケットから鍵を取り出す。
 そしてぽいっと城に向かって投げた。
「鍵閉めたら職員室に返してくれ。あと・・ガイドブックはお前が買っとけよ!」
 乱暴にドアが閉まる。
 閉まる直前に見えた雅也の横顔は首まで赤くて・・・・・
 城の口元が徐々にゆるんできて、やがてはっきりした笑い声になる。

「・・・やっぱ、あんた最高・・!」



Fin.  

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