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「・・・山形先生を無視するわけにもいかないしなぁ。どうせ耕平は部活中だろうし、さっさと片づけて帰りに耕平の所に寄るか」
呟くと、猛は右に折れて静まりかえった校舎の中に入っていった。
「失礼しまーす・・・」
声をかけて『休憩中』のプレートがかかった生徒指導室のドアをガラガラと開けた猛は、正面にどんと置かれている机に人がいないのを見て首を傾げた。
「あれ・・?いないのか?」
入り口の鍵は開いていたのに不用心な・・・と思いながら部屋の中程まで進んだ時、
「うわぁっっ!!」
不意に後ろから両肩を捕まれ飛び上がった。
「大声だすなって。猛、俺だよ」
耳元で囁かれた声にもう一度驚いて振り返ると、極至近距離に立っている耕平とまともに目があった。
「な、な、何すんだよっ!驚くじゃねーかっ!」
なぜか赤くなって後ずさる猛の肩を耕平が再び引き寄せた。
「悪い悪い。会いたいなぁと思っていた所に本物のお前が現れたから、ついつい手が伸びてしまった」
「会いたい・・って、昨日だって会ってたじゃねーか・・」
顔を上げると、再び極至近距離になっている耕平とまともに視線があった。そこににっこりと微笑まれて、顔が更に赤くなるのが自分でわかる。
「俺はいつだってお前に会いたいって思ってるからな」
くらくらするような台詞を吐いてさりげなく腰に手を回し、更に顔を近づけてくる耕平に猛が思わず目を閉じたとき・・・
ガタンッ
「だぁぁーーーっっ!」
「ごほっ!」
背後の物音に、はっと我に返りここがどこであるか思い出した猛は、耕平の胸を渾身の力で突き飛ばした。哀れ、耕平は胸を押さえてうずくまることになる。
猛があわてて振り返ると、部屋の奥にある準備室に続くドアが開き、中から頭の禿げあがった山形が姿を見せた。
「ち・・いいところで・・」
猛にだけ聞こえる声で文句を言う耕平の足をげしっと踏んでにらみつける。
「等々力君あったぞ。・・お、板橋、来てたのか。丁度良かった。君もこっちにおいで」 「・・・?」
机に近づいた二人の前で、山形は手にした封筒を逆さまにして中身を机にばらまいた。
「・・・写真・・?見ていいんですか」
「ああ、どうぞ」
猛が一枚手に取る。それにはバトンを持った学生がゴールテープを切った瞬間が写されていた。他にもハードルを跳んでいる写真やトラックを集団で走っている写真などが目に入ったが、猛には写っているどの顔にも見覚えがなかった。
「体育祭・・ですか?」
「いや、陸上の県大会だ。昔、顧問の先生と一緒に行ったことがあってな。私は写真が趣味だからついでに撮ったわけだ・・・お、あった。板橋にはこれだ」
山形が差し出した数枚の写真を受け取る。
「・・あ・・・っ!雅だ!」
そこには綺麗なフォームでバーを越える兄が写っていた。今よりも幼い顔をした、高校時代の兄の姿。
「奥の部屋を整理していたら出てきてな。せっかくだから渡せる奴には渡そうと思って。板橋、それをお前の兄貴に渡しといてくれ」
「はい・・・って、あれ?兄貴はうちの学校の出身じゃないのにどうして・・」
「いや〜、フォームが綺麗だったからな、つい被写体にさせてもらったんだ」
「ははは・・・兄貴が聞いたら喜びますよ〜」
頭をかきながら言う山形に笑い、再び視線を手元の写真に戻す。クリアした時なのだろう、友人に背中を叩かれながら全開の笑顔の写真もあり、何だかかわいく見えて思わず猛の口元がゆるんだ。
「おい、そろそろ行くぞ」
「あ、うん」
耕平の声にはっと顔をあげ、猛は写真をカバンにしまった。
生徒指導室を後にした二人はグランドに向かって並んで廊下を歩きだした。
「あ、そういや耕平はどうしてあの部屋にいたんだ?」
「俺も写真をもらいに来てたんだよ」
「えっ?・・・そうか、耕平って雅のライバルだったんだよなっ!」
猛は歩きながら耕平の顔をのぞき込んだ。
「・・・あいつはライバルなんかじゃねーぞっ」
「じゃあ、耕平も写真もらったんだろっ!?見たいっ!」
苦々しい顔をして言う耕平の台詞は無視して猛が耕平の前に回り込む。
「なーなー見たいー!見たいー!見せろーっ!」
「あああ、わかったからっ!こらっポケットから引っ張り・・・・・っっ!!」
「え・・うわぁ!!!?」
「・・たけ・・──────・・・」
突然。
耕平にじゃれついていた猛の目の前が急に暗くなった。 自分が耕平の胸に強く抱き込まれたのだと気づく暇もなく、急激に天地が逆になる感覚がして、耕平と共にそのままコンクリートの渡り廊下に倒れ込んだ。 激しい衝撃が襲う。
「・・・・痛ってぇー・・・なんなんだよっ!耕平!」
ぶつけた腰をさすり、猛が身体を起こそうとしたときだった。
「・・・耕平?どけってば」
自分の上から一向に動かない耕平を不審に思った猛が、自分の背中に回された耕平の腕をどける・・・その腕は力無く脇に投げ出された。
「耕平・・・!?」
ずくんっ・・と胸が痛んだ。
自分の肩にのっている耕平の頭に無意識に触れた左手が、生暖かい感触を猛に伝える。
急に息が苦しくなる。どんどん速くなる自分の心臓の音だけが耳を激しく打っている。
猛がゆっくりと身体を起こすと耕平の身体がずるりとずり落ちた。
震える自分の左手を見ると・・・それは真っ赤に染まっていた。
「こう・・耕平・・耕平・・・起きろよ・・・」
猛の声にも耕平の瞼は動かない。
「耕平、耕平・・・耕平、耕平耕平耕平ぃぃーーーーーっ!!!!」
白い壁が続く長い廊下。そこに置かれた長椅子の一つに、猛は腰を下ろしていた。
病院という場所にいるには、あまりにも凄惨な印象を受ける血の付いた学生服を着た青年の姿に、目の前を通りすぎる人たちが奇異の視線を向けていく。
しかしそれらは猛の視界には全く入っていなかった。
両手を爪が食い込むほど握りしめ、目の前の『救急処置室』と書かれた閉じられたドアに顔を向けたまま微動だにしない。その瞳は生気を失っており、何も映していないかの様に見えた。
いったいどのくらいの時間がたったのだろうか。
「・・・くん、たけるくん、・・猛くんっ!!」
強く肩を揺さぶられ、のろのろと顔を上げた猛の前に、一人の男が立っていた。
「猛くん!しっかりしろっ!!」
「・・・あ・・耕作さん・・?」
見知った顔を見つけて、猛の瞳にわずかに光が戻る。
「あ・・耕平が・・耕平が・・」
「あいつなら大丈夫だよ。頭に怪我したくらいでくたばる奴じゃないから」
「でもっ!・・でも・・・」
涙ぐむ猛の髪に手を差し入れくしゃくしゃっとかきまわすと、そのまま緒方は猛の隣に腰を下ろした。
「誰か他には来ていないのかい?」
「・・・先生が一人いるけど、今、電話かけに行ってる」
「そうか・・・一人で不安だったろ?」
「・・・」
黙り込んだ猛の髪をもう一度かきまわしたとき、目の前のドアが開いた。
慌てて立ち上がった二人の前にやや年配の看護婦が近づいてきた。
「等々力さんの家族の方ですか?」
「はい」
迷いなく緒方が返事をする。
「では・・こちらへどうぞ」
ドアの中に招き入れられる。部屋の左側には頭に白い包帯を巻かれた耕平がストレッチャーに横になっている。腕には点滴がつながれ、その目はまだ閉じられたままである。
「耕平っ!?」
「おい、耕平!」
二人で駆け寄り、声をかけるが返事はない。
「命に別状はありません。大丈夫ですよ」
背後から聞こえた穏やかな声に二人が振り返る。
長い白衣を着た男がそこに立っていた。当直医の西田ですと自己紹介をした、その柔和な表情の青年医師の声に、猛と緒方の肩からわずかに力が抜けた。
「頭に野球の硬球が当たったそうですね。その傷を3針ほど縫いましたが怪我自体は大したことはありません」
「でもっ!すごく血が出て・・」
猛が不安そうに言うのにも西田はにっこりと笑った。
「頭の怪我は小さくてもたくさん出血するんですよ。それにここに運ばれてきたときにはもうほとんど止まってましたからね」
「意識は?まだ戻らないんですか?」
緒方がたずねる。
「実は・・・一度処置中に目を覚ましたんですが・・・少し話されて安心したのか、また眠られました。頭の中もCT検査で異常なかったので今のところ問題ないと思います」
「そう・・・ですか・・」
ふうぅっと緒方が思わずため息をついた。そしてそのまま力が抜けたように脇にあった椅子に腰掛けた。
「耕平・・・」
猛がもう一度耕平の顔をのぞき込む。耕平の声を聞くまでは本当に安心はできない。でも耳を澄ますと耕平のゆっくりと落ちついた呼吸が聞こえて・・・その音に少しだけほっとする。
「今日はこのまま入院してもらいますね。目が覚めて問題なければ明日にでも家に帰れると思いますよ」
「はいっ!」
今までの青ざめた様子が嘘のように元気に返事をする猛に、クスッと笑うと、西田は病室に患者の搬送をするように指示を出した。二人の看護婦が耕平をのせたストレッチャーを廊下に運び出す。
「・・・きみ!」
緒方と一緒に付いていこうとした猛を西田が呼び止めた。
「はい・・?」
「もしかして君がタケルくん?」
「え・・・そうですけど・・」
不可解な問いに首を傾げる猛に、西田が優しく微笑んだ。
「君も大分疲れているみたいだから少し休んだ方がいい。目を覚ましたときに君が元気でいた方が彼も安心するだろうからね」
「え・・・・何で!?」
まるで自分と耕平の関係を知っているかのような言葉に一瞬頭がパニックになる。
「彼ね、目を覚ましてまず僕に『タケルは無事か』って言ったんだよ。自分の怪我の方がよっぽどひどいのに・・・余程きみが大事なんだね」
くすくすと笑いながら言う西田に猛の顔が思わず赤くなる。それを見られる前にあわてて猛は頭を下げた。
「あ、あの・・・ホントにありがとうございましたっ」
「いえいえ。あ、部屋はそこのエレベーターを上がって左の503号室だよ」
「はいっ!」
猛は急いで踵をかえすと、もう姿の見えなくなった緒方達の後を追った。
その背中を見ながら西田がつぶやいた。
「・・ホント、あんなに可愛い弟がいたら僕だってかわいがるよなぁ」
とりあえず、猛にとっては都合の良い誤解をしたまま、西田は処置室に戻っていった。
耕平が運ばれたのはナースセンターに近い個室だった。
「それじゃ、患者さんが目を覚ましたら、枕元のコールボタンを押してナースセンターまで知らせてください」
手際よく耕平をベッドに移して点滴の具合をみた看護婦は、緒方と猛にそう告げると病室を出ていった。
「・・耕平、いつ目を覚ますんだろ・・」
ベッド脇の簡易ソファーに座ってぽつんとつぶやいた猛の横に腰を下ろすと、緒方は彼の背中に手を回し軽く叩いた。
「・・・猛君、今日はもう遅いから君はとりあえずうちに帰った方がいいよ」
「でも・・!」
「少し休んだ方がいい。服も着替えて。その顔色と格好じゃ耕平が目を覚ました時に『猛に何をしたっ!』とか言って俺が殴られそうだ」
猛はまだ、左肩から腕にかけて血が乾いてシミになっている学生服を着ていた。緒方は猛が連絡を入れた時には家に帰っていて、ジーンズに白っぽいセーターというラフな格好である。
「もうすぐ高杉さんも来るから、今夜は俺達が付きそうよ」
最初からそのつもりだったのだろう、緒方はタオルや着替えの入ったカバンも持ってきていた。
時計を見ると夜の7時を回っている。
猛はそっとベッドの耕平を見た。
耕平はまだ眠っている。自分がいてもあまり役に立つことはないけど・・・
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