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でも・・・。
「・・耕作さん、俺、耕平のそばにいちゃだめですか?」
「猛くん・・?」
緒方から視線を逸らし猛は自分の左手を見つめた。真っ赤に染まっていたその手は今はきれいに洗い流されている。しかしその感触を忘れることはできない。
「耕平は・・たぶん俺を庇って怪我したんです。なのに俺、耕平の血を見たとたんに頭ん中が真っ白になっちゃって・・・ばかみたいにあいつの名前を呼ぶしかできなかった。グランドにいた奴らや先生達がもし来なかったら、耕平は今頃取り返しのつかないことになっていたかもしれないって思うと、今でもすごく・・・怖い」
つぶやくように語る猛を、緒方は無言で見つめていた。
「耕平が病院に運ばれて、廊下でずっと待ってる間もあいつにもしものことがあったらって怖くて怖くてしょうがなかった。でもそれ以上に、何にも出来なかった自分がすごく情けなくって・・・何もできずに待ってる自分がすごくくやしかった」
「・・・それは」
言いかけた緒方の言葉を遮るように、猛が緒方を振り返った。
「だから・・だからっ!そばにいたいんだ・・!何もできないけど、耕平が目を覚ましたときにそばにいたい」
「猛くん・・」
「あのお医者さんが言ってたんです・・耕平が俺の心配をしてたって・・・だからせめて早く俺は大丈夫、守ってくれてありがとうってあいつに言いたいんです」
まっすぐな視線で訴える猛にふっと笑うと、緒方は猛の髪をくしゃっとかきまわした。
「わかったよ。じゃあ今夜は一緒にこいつの付き添いをしよう。・・・でもこの学生服だけは何とかしたいなぁ・・」
猛の姿を見て緒方が考え込んだとき、小さくドアがノックされた。
緒方が立ち上がりドアを開ける。
「高杉さん!」
「どう?トドくんの具合は」
「頭を少し縫ったけど、他は大丈夫らしいです。今は寝てます」
「そうか・・・よかった」
「とりあえず中に入ってください」
緒方と共に病室に入ってきた、残業帰りと思われるダークなスーツにベージュのコートの高杉を見て、猛が立ち上がった。
「高杉さん・・!」
「猛くんも大変だったね」
コートを脱ぎながら、高杉が猛を見てにっこりと微笑む。
「高杉さん、今夜は俺と猛くんが耕平の付き添いをしますんで」
「そうか。猛くんは家に連絡は?遅くなって心配してるんじゃないかい?」
「あ・・・しまった、まだ・・です」
少し赤くなった猛をみて高杉がくすっと笑う。
「まず電話しておいで。それと、君は一度戻って着替えてきた方がいいみたいだから、僕が送ってあげるよ」
「はい・・すいません。俺、電話してきます」
ぺこりと頭を下げると、猛は病室を出ていった。
「すいません、高杉さん。せっかく来てもらったのに無駄になっちゃって」
困った顔をしている緒方に、高杉が少しいたずらっぽく笑った。
「いいんだよ。実はね、きみと猛くんの話が少し聞こえたんだ」
「え・・・?」
高杉が耕平の眠るベッドに近づく。
「僕も猛くんがついていてあげたほうがいいと思うよ。たぶん一番の薬になるだろうしね。僕のことなら今日は帰るから気にしなくていいよ」
隣に並んだ緒方を振り返る。
「しかし・・猛くんにあれだけ想われていて、しかも緒方くんにも心配されて、トドくんはホントに幸せ者だね。・・・ちょっと僕は妬けるな」
「な、な、何言ってるんですか!」
妬ける、という一言であわてふためいている緒方をちらっと流し見て、高杉がふっと笑う。
「それなのに、一体トドくんはいつまで寝てるつもりなんだろうねぇ。あんなに心配しているお姫様がいるっていうのに」
「た、高杉さん?」
すいっと腰に回った手に、緒方の身体が一瞬で硬直する。
「・・僕だったらかわいいお姫様のキスで、一発で目を覚ますんだけどね」
「た・・高杉さんっ!!そ、それは根本的に話がまちがってます!」
「そうだった?」
「そうですっ!」
腰を抱き寄せられてあわてまくっている緒方を見て高杉が笑ったその時、
「・・・お前ら、何をいちゃついてやがるんだ・・?」
彼らのすぐ脇のベッドで低い声がした。緒方が驚いて振り返る。
そこにはたった今まで目覚める気配もなかった耕平が、不機嫌そうな表情で脇に立つ二人を見つめていた。
「耕平!・・お前、大丈夫か?!」
「はぁ・・?何言ってんだ」
緒方の言葉に怪訝な顔をして耕平がベッドから身体を起こそうとしたとき、入口のドアが開いた。
「・・・耕平っっ!?」
一瞬、立ちつくして目を見開いた猛は、次の瞬間にはベッドに駆け寄っていた。
「耕平、大丈夫か!?頭痛くないか!?」
すがりつくような勢いで猛が耕平の顔を真剣な表情でのぞき込んだ。
「おまえまで・・何をそんなに心配して・・・・あれ、猛、ここはどこだ?」
ベッドの上に身体を起こして耕平が不審そうな顔をする。
「耕平、今日学校で俺と一緒に歩いてたら野球のボールが飛んできて頭にあたったんだよ!怪我してそのまま救急車で運ばれたんだ」
「ここは病院だ。お前、処置中に目が覚めたらしいけどまた寝ちまって、結局今まで寝てたんだぜ」
緒方が猛の後を続ける。
「学校で・・・怪我・・?俺が?」
「そうだよ!俺を庇って・・・」
耕平が顔に手を当てて考え込む。その真剣な表情に、誰も声を発しない。
「・・・・・わからん」
耕平がしばらくしてつぶやいた。
「今日、俺は学校にいたのか?」
「そうだよ!今日も陸上部のコーチをしに来てて、生徒指導室で俺と会っただろ!」
「指導室・・・どうして俺が?」
「・・耕平・・?」
耕平の表情はやはり真剣なままである。猛は急に不安になった。
「・・それに耕作はどうしてここにいるんだ?出張中だろう」
「何言ってんだ、それは先週の話だろう。お前、うちに押しかけてきて土産を強奪していっただろうが」
耕平の言葉に緒方があきれたように返す。
「お前、忘れたとは言わせんぞ!」
「待って、緒方君・・・・・トド君、僕たちのことはわかるね」
高杉の言葉に耕平が眉をひそめる。
「当たり前だ。お前らのことはともかく、俺が猛をわからないわけないだろう」
「・・・まぁ、そうだろうね。じゃあ、今日は何月何日?」
「は?何言って・・・今日は、・・・・・」
耕平の動きが止まる。
「今日は・・・・・え・・いつだ・・?」
言葉に詰まった耕平の肩を、高杉がぽんっと叩いた。
「・・トド君もういいよ。緒方君、看護婦さんに言って先生に来てもらって」
額に手を当てて固まっている耕平をちらっと見て、緒方がドアから出ていく。
猛は不安な気持ちのまま、耕平の横顔をみつめていた。
「耕平!寒いからこっちに来いよ。コーヒー淹れたぞ」
「あ?・・ああ」
ベランダに続く窓を開けて外を眺めていた耕平は、猛の声に振り返ると窓を閉めてゆっくりとリビングに戻ってきた。テーブルには二人分のカップが置かれている。
「まだ、頭痛いのか?」
「いや、もう大丈夫だ。・・お、いい匂いだな」
テーブルの脇に座り心配そうに見上げる猛の横に腰を下ろすと、耕平は猛の淹れたコーヒーを一口飲んだ。
耕平が病院に運ばれてから5日経っていた。
あの日、病室を訪れた担当だという若い医者は耕平の話を聞くとすぐに、最初に治療をした西田を連れてきた。西田が診察をしている間、3人は廊下で落ち着かない時間を過ごした。しばらくして病室から出てきた西田は、外傷のショックで耕平の記憶が少し混乱している、と告げた。
「記憶喪失・・ってほどではないんですけど、軽い健忘症状があって、怪我をした前後の記憶が所々抜けているようです」
「大したことはないんですか?」
「ええ、身体の具合はいいようですし、生活する上で影響が出るほどの健忘じゃありませんから。でもこの先思い出すかどうかはわかりませんが・・」
結局翌日の午後に退院となり、耕平はマンションに戻ってきた。頭の包帯と、時々痛むのか額に手を当ててじっとしていることがある他はいつもと変わらない。しかし猛はその日からずっと耕平の部屋に来て、夜遅くまで耕平のそばを離れなかった。
「そういえば、学校帰りにずっとここに来ていてうちの方はいいのか?」
コーヒーを飲みながら耕平が猛を見て言った。
「うん、ちゃんと耕平の看病をしてるって言ってあるし」
マグカップを両手で持って猛も耕平と視線を合わせる。
「そうか・・・しかし雅の奴は怒ってるだろーな」
にやにやと笑う耕平はざまーみろと言わんばかりである。
「またすぐそういうことを言うんだから。・・・確かに兄貴はぶつぶつ言ってたけど、俺が耕平のそばにいたいんだから文句は言わせないし」
そっと耕平の肩に頭をもたれさせる。
「耕平が痛がってないかとか、思い出せないって悩んでるんじゃないかとか・・学校行ってる間でもすごく気になって、ここに帰ってきて耕平がお帰りって言ってくれるとすごく安心するんだ」
うつむいてぽつぽつと話す猛を見て耕平が微笑む。
「俺は別に頭ももう痛くないし、悩んでもいないぞ」
「本当?」
「ああ」
顔を上げた猛の頭を抱き寄せて、その鼻の頭に唇を寄せた。
「思い出せないことはあっても、俺が猛を守れてお前が怪我がなかったってことさえわかれば、あとは別に急いで思い出すことでもないさ」
「うん・・・それなんだけど・・あのさ、耕平・・」
「ん?」
「ずっと言いそびれてたんだけど、・・あのとき俺のこと守ってくれてありがとうな」
うつむいて赤くなりながら言う猛に、耕平は微笑みを深くする。
「大切な人を守るのは当たり前だろう?」
至近距離で言われた台詞に猛の顔がますます赤くなる。
「耕平・・・俺・・・」
甘い雰囲気に乗じて耕平が顔を寄せようとした時・・・
「・・・俺、だから決めたんだ!」
「・・・へ?」
いきなり顔を上げて猛が耕平の両腕をがしっと掴んだ。
「俺も耕平のために何かできないかってずっと考えてて、学校も今日から冬休みだし、俺しばらく住み込みハウスキーパーやるから!」
「・・・は?」
目を白黒させている耕平の前で、猛は何やら燃え上がっている。
「料理は下手だけど、掃除や洗濯なら大丈夫だし。お使いとかももちろん行くから何でもいいつけてくれよ!いいだろ!?」
「あ・・・そりゃもちろん・・」
「じゃあ、俺、一回うちに戻って荷物取ってくる!」
「あ・・・ああ」
呆然としている耕平を置いて、猛はすごい勢いで部屋を飛び出していった。
「・・・なんだかなぁ・・」
一人取り残された耕平は、猛が出ていったドアを眺めて頭を掻いた。
「でも、俺のために一生懸命になってくれてるところはやっぱりかわいいなぁ・・・しかもあいつ、しばらく住み込むって言ってたし・・」
冷えてしまったコーヒーの残りに口を付ける耕平の表情は、とても人前に出せないほどゆるみきっていた。
次の日。
猛は耕平の部屋で掃除機をかけていた。
「・・・さてと、これで終わりかな?洗濯ものは昼から取り込めばいいし・・・ん〜、昼飯をどうしようかなぁ、耕平ももうすぐ帰ってくるから・・」
誰が見てもハウスキーパーというより『かわいい奥さん』になっている猛である。
その猛が使い終わった掃除機を片づけていると、インターホンが鳴った。
「あ、耕平だ」
ぱたぱたと玄関に走り、鍵を開ける。
「おかえりなさい!」
「・・猛」
エプロン姿でドアを開けた猛に、耕平の口元が思わずゆるんだ。
「おかえりのキスはないのか?ん?」
顔を寄せてくる耕平の言葉に、猛の顔が真っ赤になる。
「な、なに言ってんだよ!いってらっしゃいの時にしただろっ!」
「だから、おかえりの時も欲しいな〜っと」
「・・・もう、恥ずかしい奴だなっ」
文句を言いながらも、猛は耕平に顔を寄せた。チュッと音がして唇が合わさる。
「・・・おかえり」
「ただいま・・」
もう一度、今度は耕平の方から唇を合わせた。
「・・・病院はどうだったんだ?」
耕平を見上げて猛が尋ねる。
「傷の具合はいいらしい。頭の中の方も大丈夫そうだけど、念のためCT検査ってのをもう一度やるって言われたよ」
「いつ?」
「週明け、24日だな」
「そっか・・」
耕平はコートを脱ぎながらリビングに向かった。一緒にソファーに座り、猛はふと耕平が手にしたビニール袋に目が留まった。
「あれ・・?これって」
「ああ、お前の制服。クリーニングが上がってたんでついでにもらってきたんだ」
「サンキュ。俺が今日取りにいこうと思ってたんだ」
袋から出してみると、血がついてシミになっていたところがきれいになっていた。
「あれ・・猛、何か落ちたぞ」
猛が再び制服をビニールに入れていたとき、耕平が小さな袋を拾い上げた。見ると『ポケット内の忘れ物です』とメモがついている。
「忘れ物だとよ。何だ?」
渡された袋を開けてみると、シャープペンシルが一本と紙切れが入っていた。
「あ、このチラシ・・・・忘れてた」
数日前に届いた、メッセージが書かれた教会のクリスマスミサのチラシ。耕平の怪我で頭が一杯で、猛はすっかり忘れ去っていた。
「なぁ、耕平はこのチラシに見覚えあるか?」
「ん?」
猛が手にしたチラシを耕平がのぞき込む。
「教会?」
「ちょっと前に俺の所に送られてきたんだ。送り主の名前も手紙もなくて・・・」
チラシを見て耕平が考え込む。
「んー・・・この教会は知ってるが・・・」
「そうか・・・メッセージが書き込んであるし、もしかして耕平かなと思ったんだけど」
「メッセージ?」
猛からチラシを渡され、もう一度最後まで目を通す。その視線が最後のメッセージの部分で止まった。
「・・・俺の猛を夜に誘うとはいい度胸じゃねぇか。誰だこいつはっ!」
「だーかーらっ!よく見ろってば。耕平の字じゃねーの?小さいし短かすぎて俺にはわからないんだ」
猛の言葉に、耕平は再びチラシに視線を落とした。じっと見つめた後、額に手を当てたまま何か考え込む。
「・・・・確かに俺の字に似てる・・というか、多分俺の字だ。俺が仕事に使っている万年筆の筆跡だと思う。だけど・・・・」
つぶやくと、目を閉じて再び考え込む。
「・・・・だめだ、思い出せない」
しばらくして、耕平は苦しげに言葉を吐き出した。
「耕平・・?」
考え込むその真剣な表情に、猛は不安になった。
「なぁ・・、そんなに考え込むなよ。俺はこれが耕平からのものだってわかればそれでもういいんだからさ」
耕平の顔をのぞき込んで言う猛に、耕平が少し寂しそうに笑った。
「そうだな・・・ただ、これを送った時の俺はたぶん、お前のために特別な何かをしてやりたくてこんなことをしたと思うんだ。それがわからないのが少し悔しくてな」
「耕平・・」
何も言えなくて、猛は耕平の頭を両腕でそっと抱きしめた。
『・・・俺も耕平が何をしようとしたのか、ちょっと知りたかった気もするけど・・』
心の中でつぶやきながら・・・・
クリスマスのバラエティー番組では、華やかなセットの中でサンタクロースの格好をしたタレントがゲストとゲームをして盛り上がっていた。
猛はテレビの前で座り込んで、その画面をボーっと見つめていた。しかし内容は全く頭に入っていない。意識のほとんどは、テレビの隣に置いてある銀色の小さな時計に向けられていた。
12月24日。
クリスマスイブのその日、耕平は午後から検査のために病院に出かけていた。
耕平を送り出した後、猛は近所のスーパーに買い物に行き、夕飯の材料を買い込んできた。慣れない手つきで包丁を握り、母親から作り方を事細かく書いてもらったメモを睨みながらビーフシチューを作る。
「・・俺がこんなご飯を作ったなんて、耕平、絶対びっくりするだろうなー」
驚いた耕平の顔を想像して、鍋をかき回す猛の表情が緩む。
何時間もかけてできあがったシチューは、少し見た目は悪いがなかなかの味になった。
ご飯も炊き上がり、簡単なサラダも皿に盛りつける。
準備が整って時計を見ると、もうすぐ夕方の5時になるところだった。
「そろそろ帰ってくるなー」
わくわくしながら猛はリビングのテレビの前に座り込んだ。
そして。
「・・・・遅いなぁ・・」
もう何度目になるかわからない言葉をつぶやいて猛が時計に目を向ける。
6時50分。
検査はとっくに終わっているはずだし、どこかに寄って遅くなるようなら連絡がくるはず・・・・まさか途中で具合が悪くなったとか・・・!
一度悪い方に考えがいってしまうと、急に落ち着かなくなる。猛は手元にあったクッションを抱きしめ、パフッと顔を埋めた。
「ん〜〜〜〜・・」
何だか居ても立ってもいられない気持ちになってそのまま床をごろごろと転がった。このまま待っているのも落ち着かないし、だからといって連絡を待たずに駅まで向かえに行くのも考えものだ。タクシーで帰ってくる可能性もある。
「う〜〜〜〜・・」
唸りながらごろごろ転がっていた猛がそのまま動きを止めた。
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