「・・・やっぱり待ってられないや・・・・!」
 ガバッと身体を起こすと、猛は壁に掛けてあったコートを羽織りバタバタと慌ただしく玄関を飛び出していった。
 足音が遠ざかり・・・・完全に聞こえなくなった頃。
 電気を消し忘れた部屋の、時計の小さな音だけが聞こえる空間に、突然電話の呼び出し音が響いた。
 取る人のいない機械が、数コール目に留守を知らせる乾いたメッセージに切り替わった。ピーッという甲高い音の後、わずかな間があって、相手の声が部屋に流れる。
『・・・猛、俺だ・・。思い出した・・今日お前にしてやりたかったことをやっと思い出したから・・・今からあの教会の前の公園に来てくれ。・・・待ってる』
 通話を切る音の後、ツー、ツーという発信音が数回流れ、メッセージを告げるランプだけが小さく点滅を始める。
 そして再び部屋は元の静けさに包まれた・・・。


 

 電車がホームに入る度に、改札口から様々な人間が流れ出てくる。仕事帰りのサラリーマン達に混ざって、華やかな服を着た女性達や飲んで赤い顔をした若い男性、身体を寄せ合って歩くカップルなどがいつもよりも多いのは、やはりクリスマスイブだからなのだろう。
 もう、何回こうした人たちを見送っただろうか。それらの人の波の中に、また目的の顔を見つけられなかった猛は、人影がまばらになった改札を見て幾度めかのため息をついた。
 もしかして、もう部屋に帰っているかもしれない・・・。
 でも、次の電車に乗っているかもしれない・・・。
 もうあと一本だけ待とう・・と思っているうちにかなりの時間が経ってしまった。
「・・一体なにやってんだよ・・・・耕平・・・」
 つぶやいてみても待ち人は姿を現さない。
「帰ろう・・・かな」
 改札の奥に見える時計の針は、7時45分を指していた。
「もうすぐ8時になっちゃうよ・・・・」
 ・・・・8時・・・?
 自分の言葉に、何かが猛の頭の中にひっかかった。
 クリスマスイブの夜8時・・・・
「・・・まさか・・・な」
『夜8時、教会前の公園で待ってる』
 チラシに書かれたメッセージは耕平のものだった。そしてそれを覚えていないことを耕平は悔やんでいて・・・・・・・
「まさか耕平・・」
 昨日の夜、明日教会に行ってみるかと問う猛に、覚えてないなら行っても仕方がないからと答えた耕平は少し寂しげで・・・・
「・・・・」
 顔を上げた猛は、もう一度時計を見た。
 7時50分。
 そして・・・改札に向かって走り出した。


 

 カーン、カーン・・・と鐘が鳴っている。
 ミサの最中の教会のドアからは賛美歌とオルガンの音が漏れ聞こえてくる。ドアと門の間の庭にも多くの人々が集い、かなりの人数がこのミサに参加しているようだった。
「・・・・ここ・・だ・・」
 教会の門の柱に手を置いた猛は小さく深呼吸をして荒い息を落ちつかせた。
 電車を降りて、猛は緩い坂道を上った所にあるこの教会まで一気に走った。駅周辺は住宅街で、教会に続く坂道の両側に並ぶ街路樹にはクリスマスのイルミネーションが灯されている。しかし、その美しい光景を楽しむ余裕は今の猛には全くなかった。
 坂道は上りきったところで突き当たり、正面に公園がある。そのT字路の一角に教会はあった。
 教会の門から離れて、猛は公園に向かった。
 その公園は、住宅街の中にあるとは思えないほど広く、緑が多い。昼間は人々の憩いの場所になるのであろうその場所も、今は夜の闇に沈み、わずかに街灯の周囲だけがぼんやりと浮かび上がっている。
 一瞬、その暗さに踏み入ることを躊躇したが、すぐに唇を引き結んで前方の闇をにらみ付け、猛は足を踏み出した。
 中に入ってしまうと、目が慣れるせいか思いのほかはっきり周囲が見渡せた。猛の立っている広場は周囲を木々が囲んでいて、、手前にはいくつかのベンチと街灯があり、広場全体をぼんやりと照らしている。街灯の光が届かない奥の方には子供の遊具があり、その脇の階段を少しのぼったところにも空間があるようだった。
 猛は薄暗い広場を横切っていった。
 ベンチには人影はない。
 人の気配を伺いながら、街灯の光の陰になった遊具に近づいた。
 その時。
 カチャン・・・
 猛のすぐ近くで金属がぶつかるような音が聞こえた。
 びくっと猛の肩が大きく跳ね上がる。
 そして次の瞬間、音の方向を振り返った猛の目が大きく見開かれた。
「あ・・・」
 ほんの数メートル先。暗がりの中でブランコに座っていた人影がゆっくりと立ち上がった。見覚えのある・・猛には見間違いようがないシルエット。
 立ちつくす猛の方にまっすぐに歩いてくる。
 陰から抜け出し、その顔がはっきり見えるようになっても猛は動けなかった。
 喉がつまったようになって言葉が出ない。
 やっと会えたうれしさと心配した分の怒り、安堵・・・それらがごちゃごちゃになって・・・何を言っていいのかわからない。
「・・・耕平・・」
 見上げる猛のすぐ前で耕平が立ち止まる。
「・・・!」
 無言のままの耕平に両肩を引き寄せられ、そのまま強く抱きしめられた。
 息が止まりそうなほどの強い力。
 冷えきっている身体。
 いったいどのくらいの時間、耕平は自分を待っていたのだろうか。
 自分と同じように会えない不安があったのだろうか。
 猛は、下げていた両腕をそっと耕平の背中に回した。
 触れあったところから温度差がなくなっていく。猛の胸の中にあったもやもやとした感情も溶けてなくなっていった。
「・・耕・・平・・・」
 猛がつぶやく。
 髪に寄せられていた耕平の唇が徐々に降りていく。
 額・・鼻梁・・頬・・・。ぼんやりと見上げている猛の顔を柔らかく触れていくその唇が、促すように目元を辿った。そっと目を閉じる。
「・・猛・・・」
 耳元でささやくかすれた声が、猛の頭を直接刺激する。
 ぞくりとした一瞬の感覚と同時に、唇を塞がれた。
 ・・・・熱い・・・・
 深く合わされた唇・・身体が崩れてしまうような感覚に、猛は耕平の背中に強くしがみついた。
 教会の鐘が再び鳴っている。
 その音の中で耕平が猛からゆっくりと離れた。まだ目を閉じている猛の目元に名残惜しげに口づける。
「・・猛、お前に見せたいものがある・・」
 耕平の声に、猛が目を開ける。
 まだ少しぼんやりとしているその肩を抱き寄せて、耕平は歩き出した。広場の奥にある階段を上がっていく。
 上りきったところには、ベンチ2つをやっと置ける程の小さな展望台があり、耕平はその中程で立ち止まった。
「・・こっちだ」
 猛の身体を手すりの方へ向ける。
「あ・・!」
 眼下に広がった光景に猛は息を呑んだ。
 二人が見下ろしている高台から、住宅街を街路樹のイルミネーションに両脇を縁取られた下り坂がまっすぐにのびている。その坂をロウソクを手に教会から出てきた人々がゆっくりと下っていく。鐘の音に導かれるように揺らめく炎が集まり、進んでゆくその先には宝石を散りばめたように輝く夜景が広がり、その様子は光の海に流れ込む河の流れのようにも見えた。
 年に一度、聖夜にだけ現れる光の大河。
 猛は瞬きさえ忘れてその光景に見入っていた。その背中から耕平がそっと抱きしめる。
「・・・すごい・・こんなの見たことない・・」
 猛が前を向いたままつぶやいた。
「気に入ってくれたか?」
「うん・・ホント、すごいや・・・」
 ゆっくりと猛が振り返る。微笑む耕平と視線があった。
「耕平・・・これを俺に見せたかったんだな・・思い出したのか?」
「ああ。猛のおかげだ」
「俺、何にもしてないぞ・・」
 猛が不思議そうな顔をする。
「お前に関わることを忘れるなんて恋人失格だと思ったら、突然思い出した」
「な・・何だよ、それ」
「それに今日のことで、俺は他のことを全部忘れても、猛のことは絶対忘れない自信ができたよ」
 微笑みを深くして耕平が見つめてくる。猛の頬が思わず赤くなった。
「・・・・ばかヤロー・・。コロッと忘れてたやつが偉そうに言うな」
「・・それは悪かった」
 苦笑する耕平を見上げて猛もクスッと笑った。
「そろそろ帰ろうぜ。腹減ったし」
「ああ、そうだな。どこかに食べに行くか」
 二人並んで歩き出す。
「あ、そうだ!俺、夕飯作ったんだよ!」
「えっ!」
 驚く耕平の腕にじゃれついて猛が笑う。
「何だよ、その驚き方は〜!ちゃんと食えるぞ!」
「はいはい、もちろん全部食わせていただきます」
「よ〜し!」

 
 腕を絡ませたまま、二人が公園から遠ざかっていく。そしてその姿は光の河の中にまぎれて見えなくなった。
 やがてロウソクを持つ人の流れも絶え、あたりに静けさが戻った。

 まるで何事もなかったようにひっそりとした公園に、空からひとひら、白いものが舞った。やがてその数が増してゆき・・・・

 聖なる夜の恋人達を祝福するかのようにあたりを白銀の世界に染め上げてゆく・・・


 ・・・・Merry Christmas・・・

                     FIN.
     

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